最後に成長戦略についても言及したいところだが、長くなるので、別の機会に回したい。要は100年計画で人を育てることであり、大学教育より幼児教育、小学校教育である、ということを今度議論しよう。
経済政策は「社会政策のための補助」という位置づけに
さて、今回議論してきた経済政策の考え方は、日本を含めた世界の成熟国経済は、21世紀においては新しい構造に変化しつつあるという認識に基づく。
20世紀までの経済は、とにかく新しいモノやサービスを生み出し、必需品でない、エンターテイメント的な贅沢消費の対象を増やすことで拡大してきた。要は、現代資本主義の本質はここにあった。
しかし、21世紀においては、食糧や資源などの誰にでも必要な必需品が稀少になり、贅沢品はあふれていても、肝心な必需品が手に入らないという状況に陥っている。
つまり、生活の基本が持続不可能になる可能性が高まっている、という経済構造なのである。これまで、贅沢品、これまでにない新しいものを生み出すことに、資源も人材も知恵もすべて投入してきたから、必需品を作る、土地、資本、人的資源、そして儲けるインセンティブがすべて不足するようになったのである。
このような社会経済構造の下では、必需品が過不足なく安定して入手できる持続的な循環可能な経済システムを構築し、その中で、必需品の質を高めることで、真の成長を実現するべき時代に入っている、という認識に基づいている。この認識は、データで検証はできないが、現在起きている現実社会の姿と整合的である。
量的な経済拡大(それを成長と呼んできたが)をとにかく追求する時代から、基本的な生活条件の質を高める、経済拡大よりも社会の充実を求める時代に変わってきているのである。すなわち、古い経済政策の時代は終わったのだ。これからは、社会政策のために経済がある、社会政策のための補助としての経済政策の時代に入ったのである(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら