「新しい資本主義」より「新しい経済政策」が重要だ 21世紀の経済構造にふさわしい経済政策とは?

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東京・元赤坂の迎賓館で、モディ首相と鯉にえさをやる岸田首相。「アメリカのバイデン大統領からも『新しい資本主義』に賛同を得た」などという話が出たが、重要なのはそこではない(写真:ブルームバーグ)

岸田政権の「新しい資本主義」を批判するのは無駄だ。なぜなら、筆者に言わせれば中身がゼロであり、岸田政権自身もそれを知っていて、ほかにもっといいキャッチコピーを思いつかなかっただけのことではないか。「アベノミクスとはちょっとだけ違うよ」(わずかに左だよ)ということ以上のものはない。

新しい経済社会の構想をつくるのは経済学者の仕事

この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら

そもそも、資本主義とは、制度でも体制でもなく、近代に生まれた社会の状況を描写したにすぎず、一政府ごときに作れるものでも変えられるものでもない。善悪を超えて、歴史的事実として社会的現状として受け入れざるを得ないものだ。

一方、経済政策は作ることができる。変えることができる。それこそが政権の役割だ。ただ、残念なことに、どうも岸田政権にはいいアイデアが浮かばないようだ。資産所得倍増政策は所得倍増計画をモジっただけで、中身は株式投資のすすめにすぎず、アベノミクスと同じになってしまった。当初の戦略から離脱してしまっている。

さらに、現在の物価高に対して、財政政策で金をばら撒くという180度逆の政策を行っており、経済学どころか、経済の原理原則もわかっていないようだ。財政出動すれば、インフレは加速する。インフレを抑えるためには財政を絞り、金利を上げ、景気の過熱を抑え、円安を止めるしかない。正反対だ。

しかし、考えてみれば、そもそも「新しい経済社会のヴィジョン(構想)とそれを実現する政策を政治家に考えろ」というほうが無理な話であって、悪いのは政治家たちではなく、われわれ、経済学者である。

新しい経済社会のヴィジョンと政策を考えることこそが、われわれ経済学者の存在意義である。われわれがサボっていたから、岸田さんたちが、やむを得ず自分たちで作ったふりをしているのだ。

今回は、深く反省して、私の「新しい経済政策」のヴィジョンと具体的な提言を打ち出す努力をしてみたい。ヴィジョンは最後にして、政策を検討しよう。

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