元声優32歳彼が「マルチにハマった」同情の経緯 芝居に集中したい想いが400万円の借金を生む

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最初の声優事務所には「預かり」として所属するも、仕事もオーディションもない時期が続いたという(写真:chachamal/GettyImages)
20代半ばから30代に訪れるとされる「クォーター・ライフ・クライシス」(以下QLC)。一人前の大人へと移行するなかで、仕事、結婚、家庭などなど、自分の将来の生活や人生に対して「このままでいいのか?」と悩み、漠然とした不安や焦燥感に苛まれる時期のことを指す。
本連載では性別職業問わず、さまざまなアラサーたちに取材。それぞれのQLCを描きながら、現代の若者たちが味わう苦悩を浮き彫りにしていく。今回紹介するのは、若者の憧れの職業「声優」として20代を過ごした、古川巧さん(仮名・32歳)のケースだ。

「よく言うじゃないですか、『あなたの頑張りは誰かが見ている』って。でも、今は『じゃあ一体誰が見てくれているんだ?』と思います。結局、自分がどんなに頑張ったって評価されるかは周り次第で、自分から見てもらいにいかないと見てくれない。QLCの時期を経て、ある意味、自分はリアリストになったと思いますね」

画像をクリックすると本連載の過去記事にジャンプします

本連載の応募フォームから、「僕みたいな20代を送った人って、けっこういると思うんです」と取材を申し出てくれた古川さん。

これまで本連載で取り上げてきた事例では、明確な目標を見出せず苦悩する人たちが比較的多かったが、声優という夢に向かって突き進む20代を送り、一種の悟りにも似た心境を語るに至った半生に興味を抱いた。

ゲームプログラマー志望から声優の世界へ

「もともと小学生の頃から興味があったゲーム制作を学ぶため、地元の工業高校に進学し、プログラミングの勉強をしていました。でも、優秀なプログラマーとして両親や会社から期待され、結果的に挫折して実家に引きこもるようになった3つ上の兄の姿を見て、『本当にこれがやりたかったんだっけ?』と思うようになったんです。

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