池上彰が解説、ジャーナリストが「戦場に行く」訳 日本と海外では彼らへの「向き合い方」が違う

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なるほどと思いました。つまりジョージアは、「南オセチアはあくまでジョージアの一部」だという建前です。ということは、あくまで国内の治安問題で、治安を維持するのは警察の仕事。軍隊を配備すると、南オセチア側はジョージアの領土ではないことを認めてしまうことになる。しかし向こうはロシア軍がいるから、警察とロシア軍とでは勝負にならない。だから警察といいながら、実際は軍隊の装備をして、装甲車を「POLICE」と塗り替えているんだってことがわかったんです。この文字だけ真新しかったんです。

こういうのって、やっぱり現地に行かないとわからないよね。日本国内にいるだけではわからないことが、たくさんあるということです。

このとき現地に行って、ジョージア側の「POLICE」の人たちに「ちょっと最前線の様子を写真に撮りたいんだけど」とお願いしたんです。そうしたら、アジアから来たわけのわからない男の言うことを認めるかどうか数人で議論していて、そのうちに突然ポンと背中を押されて「オウン・ユア・リスク」。つまり「お前の責任でやれ」と言われました。

ジャーナリズムの仕事って、こういうことなんですよね。現地で何が起きているか、それを人々に伝えるという仕事がある一方で、そこにはリスクがつきものです。

サラエボの「地雷原」

そのころ、私は『週刊ポスト』に毎週、国際情勢について連載するという仕事があったものですから、そこに掲載するための写真を撮るために、カメラを持ってあちこち1人で取材に行っていたのです。

ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボへも行きました。東西冷戦が終わったあと、旧ユーゴスラビアはバラバラになっていくわけだよね。その中でボスニア・ヘルツェゴビナは3つの民族による内戦になってしまった。とりわけサラエボというところは、セルビア人武装勢力に包囲されて、その中で孤立したクロアチア人、あるいはイスラム教徒(ボシュニャク人)たちが銃撃によって次々殺されていくという現実があったんです。

次々に殺されるからお墓が足りない。サラエボはかつて冬季オリンピックが開催された都市です。そのオリンピック競技場の駐車場が、見渡す限りお墓になっている。取材に行ったときには戦争は終わっていましたが、周辺にはまだ大量の地雷が埋められていて、私はタクシーをチャーターし、地雷原へ行ってほしいと頼みました。

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