池上彰が解説、ジャーナリストが「戦場に行く」訳 日本と海外では彼らへの「向き合い方」が違う

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一生懸命に「MINE(マイン・地雷)」と繰り返しても全然英語が通じず、仕方がないから「こうやって、踏むと爆発するんだ」と絵を描いて見せたら、「ああ、ミネ」と言うではありませんか。「MINE」を「ミネ」と発音するんですね。

タクシーを降りて舗装してあるところからすぐ脇の土がある場所に足を踏み入れようとした瞬間、タクシーの運転手が血相を変えて「アスファルトからは出るな」と叫びました。

アスファルトなら地雷は埋まっていないが、土だったらどこに地雷があるかわからないということでした。思わず足がすくみました。それ以降、日本に帰ってきてもしばらく土の上を歩くことができないような状態になりました。

ああ、戦争ってこういうことなんだ、と。現地で暮らす人たちの気持ちが少し理解できた気がしました。

イラクの「グリーン・ゾーン」へ

2011年には、イラクを取材しました。イラクは2003年にアメリカの攻撃を受けてフセイン政権が倒れた後、スンニ派とシーア派による内戦状態に陥ります。

アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領(子)はフセインさえ倒せば、イラクは民主化すると思っていた。アメリカと戦争をした日本だってドイツだって、独裁者を倒せば民主化できたじゃないかというわけです。

しかし、ドイツや日本は戦前から選挙で自分たちのリーダーを選ぶことを経験していました。でもイラクは残念ながらそういう民主主義の経験というのは一切なかったんですね。王様か独裁者に従ったことしかない歴史だった。

大混乱の中で、アメリカ軍は自分たちを守るために、イラクの首都バグダッドの中に「グリーン・ゾーン」と呼ばれる厳重な警備が敷かれた米軍管轄区域をつくりました。

私はその中に入りました。ちょうど、戦後のイラク復興のためにJICA(国際協力機構)のイラク事務所がバグダッドに開設された、その直後でした。JICAに協力をいただいて、バグダッドへ入ったんです。

当時のバグダッドは極めて危険で、グリーン・ゾーンの外側、チグリス川をはさんだ反対側にシーア派の過激派が潜んでいて、毎日のようにロケット弾が撃ち込まれていました。毎晩、夜になると空からロケット弾が降ってくる、そんなところにJICAの事務所はできたんです。

日本のメディアは「そんな危険なところにウチの社員を送るわけにはいかない」というので、どこのテレビ局も新聞社も、バグダッドに社員を派遣していませんでした。私はフリーランスだからそこへ入れたんです。

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