久保:『ハリー・ポッターと賢者の石』って2001年公開でしたよね。ちょうど会社を設立した年なんで覚えていますね。僕は映画業界がこのままいくと産業として駄目になると思って、会社を創ったのですが、その直後に公開された『千と千尋の神隠し』や『ハリー・ポッターと賢者の石』にめちゃくちゃお客さんが入っていて。「もしかして自分がやる必要ないんじゃない?」と思った記憶があります。(一同笑)
――久保さんの映画的ルーツは?
久保:僕は四国の徳島出身なのですが、子どもの頃は県内に映画館が6~7軒ぐらいしかなかったんです。当時はシネコンがほとんどなくて、東宝、東映、松竹、あとは大人が集まる歓楽街の中にある映画館くらいでした。世の中にある映画ってそれがすべてだと思っていたんですよ。でもうちの近所にレンタルビデオ屋ができた時に「映画って他にもたくさんあるんだ」と小学校低学年ながらに思っていました。
また、うちのばあちゃんが映画が好きだったので、テレビで放送された映画は一通り録画していて、一緒に観てたんです。それが映画への入り口でしたね。あと僕が通っていた大学が渋谷に近かったということで、ミニシアターにもよく通っていました。当時はそういった映画館に行くのがある種オシャレで、トレンドをキャッチしているという空気感があった。あの空気感にあてられたというところはありますね。
偶然観た映画に衝撃を受ける
大高:僕は2つあって、1つは『四月物語』という岩井俊二監督の映画があるのですが、そのロケ地がたまたま僕の地元だったんです。2週間くらい、友だちと学校帰りに、やじ馬で見物してたんですけど、小学生だからなんでも楽しいんですよね。それでできあがった作品を観ると、普段の景色と全然違う。いつも自分が歩いてるこの場所が映画だとこうなるんだ、というような映画のマジックを体験して。それが映画との出会いだったと思います。
そこから中二ぐらいになるまでにいろいろと映画を観てたんですけど、それまでマス向けの映画ばかり観ていたということもあって、だんだん「なんだか映画ってハッピーエンドばっかりだな。世の中なんてそんなもんじゃないだろうに」と思うようになったんです。
そんな中二病の延長で、友だちと冷やかし半分で『ドラえもん』の映画を観てやろうと、隣町のシネコンに行った。でも『ドラえもん』は大ヒットしていたので、チケットは売り切れていた。でもわざわざ来たんだから、何か観なきゃと思って、代わりに入ったのが『12モンキーズ』。これがブルース・ウィリスやブラッド・ピットが出てる映画なのに、ものすごい社会批評と皮肉がきいたバッドエンドの映画で、衝撃を受けてしまったんです。
「これはちゃんと映画というものを観なきゃいけないな」と思い直したところに、『四月物語』の思い出が重なって。「映画って面白いんだな」と思ったのが原体験ですね。それこそそのような“誤配”から生まれた映画との出会いを考えると、そういうのは大事だと思っています。
――お三方とも、偶然性だったり、まわりの環境が大きかったということですね。
久保:映画って結局は趣味なんで。ジブリ映画が好きな人が、まったく関係ないホラー映画を面白いと思うかもしれない。そういう意味で偶然に出会うことができるような、タッチポイントが豊富に用意されていたほうが、世の中にとってはきっとすてきなことなんだと思います。
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