油揚げを盗った猫を追いかけるような人生を送りたくありませんでした--秋元征紘・ジャイロ経営塾代表(第1回)

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油揚げを盗った猫を追いかけるような人生を送りたくありませんでした--秋元征紘・ジャイロ経営塾代表(第1回)

--日本ケンタッキー・フライド・チキン(以下、KFC)、日本ペプシ・コーラ社(以下、ペプシ)、ナイキジャパン(以下、ナイキ)、LVMHグループのゲランと、外資系企業4社を経営者として渡り歩いてこられました。

それ以前は、日本精工(以下、NSK)という軸受け(ベアリング)メーカーに10年いました。主にニューヨークやトロントで駐在員をしていました。

入社したきっかけは学生時代にさかのぼります。上智大学2年生の頃、オーストラリアとの学生交換実現のために協賛企業から寄付金を集めて学生を海外派遣していた「日豪学生交換連盟」に入ったんです。約3カ月間、ほとんど授業に出ないで会社回りをしました。

まずは母校である横浜翠嵐高校(旧制横浜第二中学)同窓会の紹介で、第一期生だった当時の日立製作所社長の駒井健一郎氏や、二期生で後にブリヂストンの社長をされた柴本重理氏とお会いすることができました。その後は政・財・官のつてを頼りに土光敏夫氏、今里廣記氏をはじめ多くの名だたる経営者に会いに行き、晴れて30万円を集めてオーストラリアに1カ月間の交換留学を果たしたのです。

会社回りも貴重な経験でしたし、初めての海外はすばらしく大変刺激を受けました。大学でも経営学の恩師であるロベール・J・バロン神父や『The Japanese Factory』(和訳:『日本の経営 ダイヤモンド社』)を書いたジェームス・C・アベグレン氏たちとの出会いがあり、世界のビジネスはかっこいいなと思うようになったんです。

卒業後は奨学金でシドニー大学の大学院に行き、これからのビジネスは海外だという思いを強くしました。そして英語を使ってキャリアを積みたいと考えるようになりましたが、現地の永住権を取って働くというのは絶対にハンデがあると考えました。日本経済は急成長していたので、日本企業の海外進出に乗って世界へ出ようと思っていたんです。

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