そんな矢先、やはり上智大学の恩師であり、当時NSKの代表取締役専務をされていた小島慶三さんから「オーストラリアに工場を造るから手伝ってくれないか」と言われ、NSKに入社することになったわけです。
--学生時代から英語が堪能だったんですね。
実は、私は英語ができませんでした。
高校生の頃、友達は「Z会」の通信教育を受けるとか大学受験の塾通いをしているのに、私は合唱や山登りに夢中で成績に問題があったんです。ある日、授業中に英語の教師に「君の成績では行ける大学はない」と断言されてしまい、すごく悔しい思いで学校を後にしたのを覚えています。
帰り道にもう1人の英語の先生が「元気ないじゃないか」と声をかけてくれました。その日の出来事を話すと、先生は家で何人かに英語の個別指導をしているので、やる気があるなら『新々英文解釈研究』(山崎貞)にある例文を全部覚えてきなさいと言ってくれました。例文は150前後ありましたが、必死に覚えて先生の私塾に入れてもらったんです。それからは赤尾の豆単と呼ばれた『英語基本単語集』(旺文社)を食べるように暗記しましたね。結果、6カ月ぐらいで模擬試験の英語の成績がトップ10に入り、一浪したとはいえ何とか上智大学にも合格できました。
私自身、この学生時代の勉強がその後の世界に通用する英語の基礎になっています。アジアでも今、海外経験がないのに正しい英語がしゃべれる中国や韓国の人はものすごく増えています。このグローバル化の時代に、いまだに「英語が不得意」といった言い訳をしている多くの日本の学生やビジネスパーソンには信じがたい思いを持っています。世界中で、みんなが努力しているのですから。