倒産後、ケンタッキーで時給600円のアルバイトから再出発しました--秋元征紘・ジャイロ経営塾代表(第2回)

倒産後、ケンタッキーで時給600円のアルバイトから再出発しました--秋元征紘・ジャイロ経営塾代表(第2回)

--ベンチャー企業が倒産した後、どうなさったんですか。

同年12月、KFC田園調布店で、時給600円のアルバイトから再出発しました。当時副社長をされていた、後の日本KFC社長の大河原毅さんは大学のゼミの先輩で「うちに来ないか」と救ってくれたんです。

アルバイトを1カ月やってから1980年1月に正式に部長として採用され、最初の仕事は新規事業としての焼き鳥チェーンをつくることでした。NSKからいきなりKFCに移ってこんなことを言われても絶対やらなかったでしょうが、もう失うものはなかったのと正直面白いなと思い始めていましたね。

当時、日本KFCでは年間8000万羽くらいの鶏を使っていました。大量に若鶏を購入していましたがいわば「いいとこ取り」だったので、結果として内臓など不要な部位を生み出していて、その分サーチャージがかかるという問題がありました。また、当時の従業員は私を含め20~30代が多く、私たちが年をとってもオーナーとしてできる仕事を準備しておきたいという考えが大河原さんにはあったんです。高齢になったらKFC店舗での仕事のようなしんどい仕事はできないですからね。もっと軽装備で退職金で投資ができ、収益率が高く、日本人誰もが食べる鶏事業として焼き鳥が選ばれたのです。

そういった問題を解決するために立ち上げを任されたのが、「一番どり」「京鳥」という焼き鳥チェーンだったんです。現在では約70店舗が全国展開されており、まさに当時の幹部たちがフランチャイズでオーナーとしてやっています。

--KFCは秋元さんにとって初の外資企業ですが、日本の企業と何か違いはありましたか。

私が入った当時、KFCは創業10年でした。約300店舗を展開し、売り上げは約300億円。それから辞めるまでの14年間は売り上げも利益も2ケタ成長を達成、わくわくどきどきの毎日でしたね。私自身もここで大きく成長したような気がします。

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