倒産後、ケンタッキーで時給600円のアルバイトから再出発しました--秋元征紘・ジャイロ経営塾代表(第2回)

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 NSKは東大、東工大、慶応、早稲田といった有名大学の出身者が集まるいわゆる一流企業でした。そして当時の多くの日本の会社がそうであったように、NSKも減点主義といいますか、経歴に汚点を残さないことが重視される社風でした。

一方、KFCにそんなエリートは誰もいません。学生運動に夢中になり大学を中退した数学の天才、一流企業にいたのに上司と折り合いが悪くて辞めた人、世界放浪の旅から帰ってきた自由人、自動車の販売に向かないと悟った営業マンといった、個性が強く、一度人生の挫折を味わっているが、前向きな上方志向とエネルギーを持ち、リーダーシップを発揮できる人間が集まっていました。

この年創業者のカーネル・サンダースが来日し、若手社員たちと握手をし「この一個一個の握手が俺たちにキャッシュをもたらす」「彼らに私たちは生かされているんだ」と私たちに教えてくれたのです。KFCの原点は「ピープルズビジネス」なんです。KFCのような仕事で勝つ人材は、NSKにいるような人材ではないと思いましたね。

--KFCからペプシに移られた経緯を教えて下さい。

焼き鳥チェーンの事業開発の後マーケティング本部長を任された頃、シドニー時代の知人から「ペプシの副社長をやらないか。すぐ社長になれる」と声がかかりました。調べてみたら日本のペプシはかなりひどい状況で断ったのですが、なんと1週間もしないうちにKFCがペプシに買収されてしまったんです。ニュースで知って驚いていたらニューヨークのペプシ本社に呼び出され、結果的にペプシの副社長として2年間出向することになってしまいました。

当初KFCのマーケティング本部長のほうが楽しく平和だったので迷惑な異動でしたが、結果的には社長のロジャー・エンリコと出会い、マイケル・ジャクソン(以下、MJ)と仕事ができてラッキーでしたね。エリンコは当時MJを起用し、コカ・コーラ戦争を勝ち抜くことに成功した有名なカリスマ経営者です。

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