--ナイキでの初めての社長業はいかがでしたか。
わずか2年でしたが、大変でした。社長を外部から引っ張ってくるときというのは、何か問題があるときなんですよ(笑)。
とはいえナイキでは、創業社長のフィル・ナイトから「感情的な絆(エモーショナル・タイ)」という考え方を学ばせてもらいました。彼はもともとオレゴン大学陸上競技部の中距離ランナー出身、たたき上げでナイキを作っためちゃくちゃ個性の強い人です。
彼はよく「俺たちはシューズを売っているのではなく、夢を売っているんだ」と言っていました。ナイキと人々(消費者、アスリートそして従業員)の間に「アスリートあるいはスポーツの実践者としての精神」を結ぶ「感情的な絆」の存在を最も重視しました。
たとえば、フィルが主導しナイキが契約するアスリートはそれを具現したいものを持っているかどうかで決まり、そのアスリートに感動する消費者がナイキの客となるのです。わかってくれる顧客をきちんと捕まえるというスタンスです。実際のところ、当時ナイキのバスケットシューズを履いた子どもたちは皆、自分がマイケル・ジョーダンになったような精神の高揚の中で熱狂していましたよね。
ペプシのロジャー・エンリコも「砂糖水を売るのに何で理屈がいるのか」と言って、当時子どもたちが熱狂していたMJを採用してペプシを成功へと導きました。いわゆるB2Cのビジネスでイノベーションを起こす人たちは皆、この「感情的な絆」を大事にしています。
フィル・ナイトの場合、従業員に関しても感情的な絆が重要でした。彼は、年に一度トップ30人ほどを集めてオレゴンの山奥で泊りがけのオフサイト戦略ミーティングを開いていました。終日のミーティングが終わるとディナーが用意され、その後の飲み会になると本音が出て相当の激論になったりするんですよね。そこでついフィルと口論となった人が、翌朝の会議ではいないんです(笑)。