■CEOへの道は、職業としての”社長”を選び、第一線で活躍するプロによるトークセッション。将来、経営層を目指すオーディエンスに、自らの経験とノウハウを語る。
--2006年1月、ライブドア社長・堀江貴文氏が証券取引法違反容疑で逮捕され、後任として弥生代表取締役社長だった平松さんが執行役員社長兼CEOに就任されました。外から見ていると、火中の栗を拾ったように見えましたが、どのような経緯で引き受けられたのでしょうか。
人材会社やヘッドハンターから話がきたわけでも、募集があって応募したわけでもありません(笑)。
今になって思うと、出会い頭ですね。強制捜査の2日後、堀江に呼び出され、「万が一のことがあったら、よろしくお願いします」と後任社長に推されたんです。そもそも弥生は、アメリカのインテュイット本社からMBO(経営者による企業買収)を行って独立させた会社です。エグジット(投資資金回収の手段)としてライブドアグループ入りを果たしたという経緯があり、まったくの他人ではなかったというわけです。ライブドアの執行役員上級副社長という肩書きがありましたし、毎週月曜は定例会議にも出ていました。
--定例会議はどのような雰囲気の中、行われていた会議だったのでしょうか。
机をコの字型に並べて真ん中に堀江が座り、各事業部長や子会社社長などが集まる1時間の経営戦略会議です。堀江はピッチャーで4番バッターみたいな存在でしたから、80~90%は彼が主導権を握って話をしていました。あとは僕と宮内が少し話をして、ほかの連中は、「頑張ります!」「死ぬ気でやります!」と(笑)、まるで体育会の雰囲気でしたね。同じグループであり、会議などを通してライブドアの空気は肌で感じていたわけです。急に堀江から指名があったとはいえ、ライブドアとは無関係ではなかったんですよ。
--そもそも弥生がライブドアグループ入りを決めた理由をお聞かせ下さい。
ライブドアが弥生の買収金額を一番高く提示してくれたからです。特に僕は、30~40代はずっと外資系企業の「雇われ再建屋の社長」をやってきたので、一番大事なのはEBIT(税引き前利益)と思っていました。3年契約であれば、3年間で数字を残すことが大切だと。5年後、10年後は関係ありません。社員が笑顔だろうと泣いていようと関係ありません。数字を残すことがビジネスであると強く思っていましたし、資本の論理で判断しないと株主に怒られますから。なので、買収金額が最も高いライブドアを選ぶのは当然の選択でした。