--当時、堀江さんについては、どう評価されていたのでしょう。
堀江を始め、ライブドアの社員は仕事が粗いと感じましたね。僕は、100%は無理でも95%まではきちんと仕上げるような方法で仕事をしてきました。95%行けば次に移る。ライブドアの人間は、1つの仕事を60~70%くらいまでやると次の仕事に移ってしまうんですよ。ただ、スピード感はありました。スピードというバリューを弥生にも身につけさせたいと思いましたね。
--スピード感がリスクにもなりうるとは思いませんでしたか。
粗いけど魅力があると思いました。僕の大好きな野球と同じですよ。バッティングが粗くても、バットを振らないとホームランは打てないでしょう。見送ってフォアボールを得て出塁したり、送りバントで進塁したりなんてことはしたくないですね。ネット企業に限らず、どの業界にもスピード感は重要だと今も思っていますよ。
ただ、「もしもし? それでいいの?」と言ってくれる人を堀江は隣に置いておくべきでした。わっしょいわっしょいと堀江を持ち上げたメディアもいけませんが、本人の態度や行動にも問題があったと思います。
--私も何度か堀江さんに取材をして疑問を抱きました。彼は「時価総額世界1位」を目指していましたが、それは「企業理念」ではない。企業理念についての質問には一切答えることができなかった。経営者として企業理念を語れないということは問題だと私は思います。
ソニーの井深さんは、創業時に「愉快なる理想工場の建設」という理念を掲げました。戦争の焼け野原の中、楽しもうぜという精神を見せたのは素晴らしいですよね。ただ、世の中のためにという企業理念みたいなものは、たいてい成功した後に作るものです。
--経営者にとって企業理念はさほど重要ではないということでしょうか。
儲かりたい、何かやりたい、というのが先だと思います。僕自身、まず最初にリーダーになりたいという夢がありました。やがて外資系で雇われ社長を担う中でEBITがトッププライオリティとなり、商法や経常利益なんてクソくらえと思って仕事をしてきたんです。
日本の会社経営を学ぼうと思ったのは、弥生の社長になったときが初めてですよ。ソニーの元上司にお願いして商法勉強会を開きました。コーポレートガバナンスやコンプライアンスも、ライブドア社長に就任してから勉強したんです。僕自身も後付けでやってきましたし、企業理念などはたいてい後から生まれるものなのではないでしょうか。
(写真:尾形文繁)
1946年北海道生まれ。アメリカン大学(Washington,D.C.)コミュニケーション学科卒業後、ソニー株式会社入社。ソニーで13年間勤務した後、アメリカンエキスプレス副社長、IDGコミュニケーションズ社長、AOLジャパン社長などを歴任。2000年にIntuitジャパンのCEOに就任。2002年 MBOにて米国親会社から独立、社名を弥生株式会社に変更、同社の代表取締役社長に就任。2004年 全株式を売却してライブドアグループ入り。2006年1月、(株)ライブドア社長就任。2007年4月、社名をライブドアホールディングスに変更、代表取締役社長就任。2008年1月に人生の後半戦を楽しむ「人生のエンターテインメントパートナー」としてアクティブなシニアを応援する小僧com株式会社代表取締役会長に就任。
■CEOへの道は、エグゼクティブ向けの人材会社・リクルートエグゼクティブエージェント主催のセミナー「Road to CEO」との連動企画です。
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