■CEOへの道は、職業としての”社長”を選び、第一線で活躍するプロによるトークセッション。将来、経営層を目指すオーディエンスに、自らの経験とノウハウを語る。
--ライブドア社長に就任された最初の記者会見は、カジュアルな堀江さんとは対照的にスーツ姿で登場されました。
今日はエヴィスのジーンズですが、いつもは1900円のチノパン(笑)。長年カジュアルな服装で仕事をしてきました。当時は外部のアドバイスもあり、「これからライブドアは変わる」というイメージを与えるため、スーツを着用することにしたんです。
--就任後、9週間で7回もの記者会見をされました。事情がよくわからない中、質問に答えようがなかったのではないでしょうか。
事前に思いきり勉強しました。僕はプレゼンテーションがうまいとよく言われるのですが、実は直前までとことん大きい声を出して練習するんです。徹底的に練習して、本番は練習していないフリをする。ただ、肝は据わっているほうなのですが、さすがに最初の記者会見では、400人の記者やテレビカメラに囲まれて失禁しそうになるほど緊張しました(笑)。
--当初、どこにゴールを定めてライブドア再生に取り組もうとされていたのでしょうか。
ゴールはまったく想定していませんでした。ヘッドハントで社長に就くのであれば、就任までの数カ月間にいろいろと戦略を立てる余裕がありますが、「え? 俺が社長?」という出会い頭で始まりましたからね。数カ月間は混乱していました。引き継ぎもない、事情を聞ける人もいない。資料は東京地検に押収されてサーバーにカギをかけられた状態では、EBITやビジネスプランなど、僕がいつもやってきたことはまったく役に立ちません。まずは社内外を落ち着かせ、両者にクリアなメッセージを送らねばと。3カ月ほど自宅も会社もマスコミに取り囲まれるような毎日だったので、自分自身も落ち着かせなくては、という思いもありました。
--どうやって自分を含め、社内外を落ち着かせようとしたのですか。
全社員へのメールやタウンミーティングで報告は随時行っていましたが、やはり普段の自分の態度が重要だと思いました。世の中が堀江を持ち上げていた頃、社員の家族は、「お宅の息子さんはホリエモンの会社なんですね」と言われて誇らしく思ったり、幼稚園で「パパはホリエモンの会社なんだ」と自慢したりしていたわけです。ところが、堀江逮捕で一転し、社員の家族は不安に包まれました。田舎の両親も心配し、「今度の社長は大丈夫なのか」と電話してくるんです。社長がどーんと構えないといけないと思い、ソニー・盛田さんの「ネアカ経営」をまねました。