■CEOへの道は、職業としての”社長”を選び、第一線で活躍するプロによるトークセッション。将来、経営層を目指すオーディエンスに、自らの経験とノウハウを語る。
--平松さんは学生運動が盛んだった頃、早稲田大学に在籍されていました。どんな学生でしたか。
このまま大学を卒業し、大手企業のサラリーマンになることが恐ろしいと思っていました。同じ考えで同じ年収で、という日本人特有の”ホモジニアスな価値観”で生きていくのかと思うと、気が狂いそうになったんです。せっかく生まれてきたんだから、楽しく多様性のある人生を生きてみたいという思いが本能のようにありました。
--ジャーナリストを目指していたそうですが、何がきっかけだったのでしょう。
岡村昭彦さんの著書「南ヴェトナム戦争従軍記」に感化されたんです。アメリカン大学で勉強しながら、読売新聞ワシントン支局でアルバイトとして働けるという話をいただき、早稲田大学を中退しアメリカに渡りました。結局、年齢制限の関係で記者になることができず、あれだけ抵抗のあった大手企業に入ることになってしまったんですが(笑)。
--ソニーですね。当時から経営を率いたいという欲求はあったのでしょうか。
もともとリーダーシップをとりたいという欲求は強かったです。ソニー時代は、社長や組織のリーダーになることが夢でした。
--アメリカン・エキスプレスへの移籍を持ちかけられたときは、どういう心境でしたか。
昔のソニーは、イチローや松井レベルの優秀な人材がたくさんいましたからね。僕の倍も練習している天才たちとスタメン競争をするというのは大変なことです。努力してもできないことがあるのだと考えていた矢先、アメックスから声がかかりました。
いまだに僕のDNAはソニーだと思うほどソニーに愛着はありますが、当時はイチローや松井との競争から逃げて大リーグを目指すことにしたんです。父がロシア語の通訳だったからというわけではないですが、常々グローバルな人間になりたいと思っていたので、外資系企業への転職は悪くない話でした。欲を言えば、「アメリカン・エキスプレスの社長はインド人」といったように、自分の国籍がA、会社の国籍がB、働く場所がCという形で一度仕事をしてみたかったんですけどね。