平松庚三・小僧com代表取締役会長兼社長/元ライブドア代表取締役社長(Part3)--倍も練習している天才たちとスタメン競争するのは大変なことです

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--その後、再びヘッドハンティングによってIDGジャパンへ移られました。

初めての社長職です。黒字のメドをつけたにもかかわらず、経営の仕方などをめぐって衝突し、1994年12月1日にクビになりました。

余談ですが、その日に我が家は泥棒に入られました(笑)。外資系企業でやっていくにはけんかができるくらいの英語力が必要ですが、いいところで負けないとダメですね。イエスと言い続けるとなめられますが、強すぎてもダメ。相手は本社ですから、問題が起きれば臨時株主総会が開かれ、コントロールされてしまいます。引き際の大切さを学びました。

--次もヘッドハンティングでAOLジャパンの社長職に就かれました。最も印象的だったことはなんでしょう。

AOLジャパンは、合弁企業でした。2000年、新たに資本参加することになったNTTドコモが、最後の最後で「筆頭株主になりたい」と言い出したとき、AOL本社が「それも悪くないね」と言ったのには驚きましたよ。筆頭株主を日本企業に譲るということは、代表権を譲るということ。AOLの目的は、ブランドマーケティングとサービスであり、ディストリビューターは誰でもいいとの判断だったんです。そんな経営の仕方もあるのかと目からうろこが落ちました。ドコモは、条件をよくして僕を迎えようとしてくれましたが、2年で辞めてインテュイットジャパン社長職の誘いを受けることにしました。

--インテュイットジャパンでMBOを実行した経緯を教えて下さい。

いまやアメリカ市場制覇イコール世界市場制覇ではありません。成功しているところはIBM、P&G、マクドナルド、コカ・コーラなど、グローバルマーケティングをやっているところですよね。インテュイットにはアメリカで7割ものシェアを誇るクイックブックスという商品があるのですが、日本ではまったく売れませんでした。GMの敗因と同じで、超ドメスティックなマーケティングを展開していたからです。MBOを行うに至ったのは、「日本ではクイックブックスの販売をやめ、経営資源をすべて弥生会計に向けたい」と僕が提案したことが発端でした。

--提案は簡単に受け入れられたのでしょうか。

外資企業の本社社長が絶対に参る短刀があるんですよ。「僕のミッションはプロダクトを売れるようにすることですか? 会社を黒字にすることですか? 両方って絶対に言わないで下さい。そんなに僕は頭がよくありません」。この一言です。

たいがいの本社社長は、「雇われ再建屋」からこのせりふで詰め寄られたら、「会社の黒字化」と答えますよ(笑)。当時のインテュイット社長であるスコット・クックも、「お前に任せる」と言ってくれました。おかげさまで同じものを同じ人に毎年売るというストック型のビジネスに変えることができ、MBOも果たして、40%もの営業利益を出す会社となりました。

(写真:尾形文繁)

ひらまつ・こうぞう
 1946年北海道生まれ。アメリカン大学(Washington,D.C.)コミュニケーション学科卒業後、ソニー株式会社入社。ソニーで13年間勤務した後、アメリカン・エキスプレス副社長、IDGコミュニケーションズ社長、AOLジャパン社長などを歴任。2000年にIntuitジャパンのCEOに就任。2002年、MBOにて米国親会社から独立、社名を弥生株式会社に変更、同社の代表取締役社長に就任。2004年、全株式を売却してライブドアグループ入り。2006年1月、株式会社ライブドア社長就任。2007年4月、社名をライブドアホールディングスに変更、代表取締役社長就任。2008年1月に人生の後半戦を楽しむ「人生のエンターテインメントパートナー」としてアクティブなシニアを応援する小僧com株式会社代表取締役会長に就任。

■CEOへの道は、エグゼクティブ向けの人材会社・リクルートエグゼクティブエージェント主催のセミナー「Road to CEO」との連動企画です。

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