ももクロは、モー娘。やAKB48に触発されて生まれた幾多のアイドルグループの中から飛び出してきました。その乱立ぶりは「アイドル戦国時代」と揶揄されてきましたが、そうしたグループの多くは、ももクロのように、メンバーも10人程度かそれ以下、メンバーもそこそこ固定化されているものです。そして、そのほうがむしろかつてのキャンディーズやゴールデンハーフにも似て、現代的ではありませんが、オーソドックスなものだと言えます。
ですから、ももクロをめぐる議論の中心は、一見するとこの当たり前なアイドルグループが、なぜほかの集団から頭ひとつ抜けた存在になれたのか、という1点に集中すると思います。
ももクロのブレークまでの運動論
どんな著名人も最初は無名から始まり、どこかで「ブレーク」していきます。モー娘。の場合は「ASAYAN」というテレビ番組がきっかけで1998年にブレークし、AKB48はCDに握手券を添付したり「総選挙」を始めて、メンバー内抗争というドラマにファンを大きく巻き込んでいった2009年にブレークしたと考えられます。
では、ももクロはどうだったのか。ライブの規模やCDの売り上げから見るかぎり、東日本大震災のあった2011年がブレークの年だったと結論づけられるとは思います。しかし、そこにはモー娘。を押し上げたようなテレビ番組の支えもなく、AKB48を開花させたようなシステムの変遷があったわけでもありません。あえて言えば、メンバーが6人から5人へと変わり、グループ名が「ももいろクローバー」から現在の「ももいろクローバーZ」に変わったのがこの年ですが、そのくらいでブレークするなら苦労しません。
ももクロをブレークさせたもの、それは、そうした工夫やマーケティングの成果というよりは、「モノノフ」(ももクロのファンをこう呼びます)を自認する芸能人や業界人の増殖であるように筆者は思っています。その量が一定のしきい値を超えて、マスメディアを乗っ取るようなメカニズムが働いたと思うのです。
著名人もみんなももクロが大好き
モー娘。やAKB48のファンを自認する著名人も多いことは多いのですが、ももクロのファンも負けずに多い。特に、芸人は南海キャンディーズの山里亮太、ドランクドラゴンの塚地武雅、オリエンタルラジオの中田敦彦など、枚挙にいとまがありません。ミュージシャンでは氣志團の綾小路翔、TMR西川貴教、miwa、マキシマム・ザ・ホルモンなどがモノノフと伝えられ、歌舞伎の中村隼人は「歌舞伎の人は(ももクロが)好きな人が多いですね」と語っています。スポーツ選手ではNYヤンキースの田中将大を筆頭に、スケートの村主章枝などなど。なぜか、一線級で活躍してきた人にはモノノフが多い印象を受けます。
こうした面々がももクロのことをマスメディアの舞台裏で周囲に紹介することでモノノフの輪が広がり、そしてその影響が番組や作品に現れることで、一般の人々にもももクロの魅力が伝わっていきます。
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