日本でも地方都市の広い一戸建てなどでは子どもたちの帰省に加えて親戚を泊めることもあるかもしれない。でもフランスはパリの狭いアパルトマンであっても親しくなるとすぐに友人を家に呼んでお茶したりご飯を振る舞ったりするよね。
家に人を呼ぶということに抵抗がなく、逆にその習慣のためにどの家もいつも掃除が行き届いてきれいにしてあるのに感心するし、予備の部屋や寝具が常備してある家も珍しくない。戦禍を逃れて来た人がいたら泊めてあげようと思えるのも、普段からそういった準備が整っているからそこまで大変ではない気はするなあ。
祖父母の代がロシアに住むロシア人
エマニュエル:ほかにも例を挙げると、子どもたちが成長して家を出ていったため、空き部屋がある定年退職した夫婦や、広い庭がある家庭では、そこにウクライナ人たちのテントを受け入れているそうだ。そして、ウクライナと家族的なつながりがあるフランス人なども、その家族を受け入れたりもしている。
くみはこのようなフランスとウクライナとのつながりや、誰かフランスに住んでいるウクライナ人の友人などはいる?
くみ:そうね、いわゆるロシア系の苗字の友達もいるし、フランスに生まれ育って、国籍もフランスだけど祖父母の代がロシアに住むロシア人だと自分で説明してくれた友人がいる。知人の息子さんの彼女がフランスに元々住んでいるウクライナ人で、気立てもいい子で家族も喜んでいる、なんて話もだいぶ前に聞いたこともある。
帝政の頃など、ロシアの上流階級はヨーロッパの社交界と深いつながりがあったし、帝政崩壊後もインテリ層は英語よりフランス語を話す傾向にあるなども耳学問としていつの間にか認識がある。実際ロシアに行ったときも、ロシア語のほかはフランス語しか話せない、いわゆるインテリ層の中高年の女性と会ったこともあってその認識を新たにした。
エマニュエル:ウクライナの難民の人たちはこのような新たな状況をどう感じているのだろう。将来についてはどう捉えているのだろう。