宮廷警備を担っていた西郷は会議の膠着状態を聞くと、大久保と岩倉へこんな伝言を頼んだという。
「短刀一本あれば解決することではないか。そう伝えてくれ」
つべこべいう反対者は刺し殺してしまえばいい――。メチャクチャだが、これこそが西郷の突破力である。西郷の言葉は討幕派の覚悟として、ひそひそと休憩中の参加者たちに伝わり、これ以上、反対を主張しないほうがよいという空気が漂い始めた。
突き詰めれば、徳川家の処分については慶喜への思いがどれだけあるかに尽きる。反対者は徳川家への恩義や引け目から抵抗しているだけで、命を懸けてまで反対する者はいない。西郷はそう踏んでいたのかもしれない。
午後から会議が再開すると、慶喜の辞官・納地がすんなり決定する。ようやく徳川家の影響力を排除できる。大久保も岩倉もほっと一息ついたことだろう。
徳川家の厳しい処分が決定すると、旧幕臣や新幕府派は、新政府の横暴さに激怒する。もちろん、大久保の狙い通りである。受け入れがたい厳しい処分を下すことで、旧幕府側の怒りを煽り立てる。そして、大政奉還で失ってしまった「徳川家を討つ大義名分」を大久保は再び手に入れようとしていた。
王政復古の大号令にも驚かなかった慶喜
しかし、敵もさるものである。慶喜は大久保の思惑が手に取るようにわかった。だからこそ、官位も領地も奪われると知らされても、慶喜は臣下をなだめながら、守護職の会津藩と所司代の桑名藩を引き連れて、大阪城へと引っ込んでいる。
大久保が散々に工作して成し遂げた「王政復古の大号令」についても、慶喜はのちにこうクールに振り返っている。
「私は別に驚かなかった。すでに政権を返上し、将軍職をも辞したのだから、王政復古の御沙汰があるのは当然であり、王政復古にこれらの職が廃されるのもまた当然だからである」
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