僕が王(貞治選手)のコーチとして巨人に呼ばれたのは、オリオンズにいたときに榎本(喜八選手)を育てたから。当時の巨人の監督、川上(哲治)さんから、「榎本みたいなバッターを作ってくれ」と言われた。榎本は、川上さん、山内(一弘)さんに次いで史上3人目に二千本安打を記録した名打者だ。
彼は王と同じで、僕の母校、早稲田実業学校の出身。甲子園に3度出場している。その練習を見に行ったとき、榎本は僕に「プロ野球に入るにはどうしたらいいですか」と聞いてきた。「朝5時に起きて、学校に行く前に毎日500本ずつ、3年間バットを振れば、プロ野球に入れるよ」と答えた。
すると榎本が高校3年の秋、僕の自宅にやって来た。「私は毎日500本、バットを振りました。だからプロ野球に入れてください」と言う。当時オリオンズ監督の別当(薫)さんに頼んだら、「今年は新人が16人入るから、もういらない」と言う。それでも「練習だけでも見てください」とむりやり頼んで見てもらったところ、別当さんも納得し、オリオンズへの入団が決まった。
技術的には王よりも榎本のほうが上だった
プロ1年目から3番打者として活躍し、その年のオールスターにも選ばれた。2年目も順調だった。ところが3年目に少し打率が落ち、4年目もさらに少し落ちた。それで5年目のシーズンオフに、僕が「3カ月間、俺の家に泊まれ」と言って、一緒に合気道の道場に通った。榎本には、技はあるけれども、「気」がないと感じたからだ。僕はその2年前から合気道の朝稽古に通っていた。
武道家は、強くなると、相手に「俺はこいつにはかなわない」と思わせるような「気」を発することができる。野球でもそれは同じで、「このバッター、強いな」とピッチャーに思わせることが大事。榎本にはそういう「気」の出し方を教えた。すると翌年、榎本は3割4分を打ち、初の首位打者になった。
榎本はまじめだから、さらに突き詰めようとした。王もよく練習したが、その突き詰め方は違った。王は運よくホームランになれば喜んだが、榎本はホームランになっても、こう打てばもっとよかったと考える。技術的には王よりも榎本のほうが上だった。しかし、榎本は極めようとしすぎたのだろう。精神的に大変な状態になった。その点、王は適当にサボることを知っていた。突き詰めた先に、ゆとりや遊びが生まれた。この点が、世界一のホームラン王になれた王と、そうでなかった榎本の違いではないだろうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら