本当は王(貞治選手)には一本足で打たせるつもりはなかった。結果としてホームランを量産することとなった一本足打法だが、それはいきがかり上とでもいうようないきさつで誕生したものだった。
初めて試合で披露したのは1962年7月1日。この日の試合前の監督コーチ会議で、「王が打たなければ巨人は優勝できない」「王はいったい何をしているのか」と屈辱的な言葉を浴びせられた。返す言葉もなかった。開幕から3カ月、王の打率は2割5分台で、ホームランは10本も打っていなかった。コーチとしての私の力量が問われているのと同じだった。血の気の多い私は、血相を変えて部屋を飛び出し、王をつかまえ、「今日から一本足で打て。三振を怖がるな」と命じた。後で王に聞いた話では、そのときの私の顔つきたるやすさまじいものだったらしい。
欠点を克服する努力をし、大きくなれる
そして一本足打法で試合に臨むとヒット2本にホームラン1本。これで一本足打法に転向させる決心がついた。それ以後、王はホームランを連発し、その年には初めてのホームラン王にもなった。
なぜ一本足か。それはホームランを狙ってのものではなく、欠点を直すためのものだった。王のいちばんの欠点は、打つときに手をぐるっと回してしまうこと。バッティングのコツは、ボールが来たら最短距離でそのボールに向かってバットを振り下ろすことだが、それが王にはできなかった。手を回す分、バットのヘッドが遠回りをして、ボールに間に合わず、タイミングが遅れてしまう。だから王はインコースを打つことができなかった
この癖を直すために、一本足打法での練習を積んでいた。ボールが来て、打つためのステップをすると手が動くというのであれば、最初からステップした状態を作り、手の動きを止めればいい、そう考えたのだ。手が動く癖をやめられれば、二本足に戻していいとも思っていた。
事実、64年の春には二本足に戻した練習をさせた。だが、手が動く癖は直らず、一本足打法に戻した。するとその年、55本のシーズン最多本塁打記録を作った。
考えてみれば、王には欠点があったから、一本足打法が生まれたようなもの。打つときに手を回すという欠点を乗り越えるために努力し、一回り大きくなったのだと思う。人間誰しも欠点を持っている。その欠点をそのままにしておけば、それ以上の人間にはなれない。しかし欠点があるからこそ、それを克服する努力をし、大きくなれるのだと思う。
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