王貞治選手は習う素直さは一番だった 荒川野球塾塾長・荒川博氏①

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あらかわ・ひろし 元プロ野球選手・コーチ・監督。1930年東京都生まれ。53年に毎日オリオンズ入団。61年引退後、読売巨人軍打撃コーチ。74年ヤクルト監督に就任。76年退任。王貞治、長嶋茂雄、広岡達朗、榎本喜八らに打撃指導を行った。現在、荒川野球塾塾長など。

王(貞治・元巨人軍選手)は怠け者だった。当時の監督、川上(哲治)さんに、「王を育ててほしい」と呼ばれて巨人のコーチになったのは1962年。その前の3年間、王のホームランは7本、17本、13本。打率は2割5分前後。川上さんに言われたのは、「ホームラン25本、打率2割7分を打てるバッターに育ててくれ」というものだった。その後、毎年のように40本以上のホームランを打った王の活躍からすると、ずいぶん低い目標と思うかもしれない。しかし、当時の王からすれば「夢のまた夢」。大変な仕事を引き受けてしまった、と思った。

62年春、キャンプで王を見ていると、トスバッティングでも空振りの連続。王に聞いてみた。「お前、巨人に入ってバットスイングをしたことがあるか」と。すると「グラウンドでは一生懸命練習しています」と言う。「グラウンド以外ではどうだ」と聞くと、「たまにはやります」という答えだった。

王は習う素直さは一番だった

これにはびっくりした。学校の生徒だって予習復習をする。プロ野球選手なら、グラウンド以外で練習をするのは当たり前。それをほとんどしていないという。なるほど。巨人に入団してからの3年間、銀座通いを欠かしたことがないという噂は本当だったんだな、と。

それで、根性からたたき込まなければいけないと思った僕は、別の日に、王を呼び出して言った。「これから3年間、酒もたばこも女もダメだ。俺の言うとおり、修業するつもりで頑張れるか」と。すると王は「ハイ、やります」と答えた。

これが王のすごいところだ。王は素直。習う素直さは一番だった。僕はいつも言っている。「うまくなる人」とは「習う素直さがある人」。まさに王は習う素直さがずば抜けていた。普通の人は、少しうまくなると、もうつらい修業はいい、自分でやっていける、と考えるようになる。しかし、王はそうではなかった。

「3年間」の修業が終わり、55本という最多本塁打の記録を作った65年の12月、僕は王に言った。「もう何をしてもいい。解放するから俺のところに来なくていい」と。そうしたら王は正座し直して言った。「今まで以上にしごいてください」と。僕は、もっとやる気を起こしたね。本気で世界記録を取ってやろうと思った。そして二人で必死になって努力をして、本当に世界一のホームラン王になった。結局僕は、怠け者だった王に、努力の仕方を教えてあげたということ。そして王は人の10倍努力し、本物の世界一になった。

週刊東洋経済編集部
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