『82年生まれ、キム・ジヨン』以降のフェミニズム文学としては、『ヒョンナムオッパへ:韓国フェミニズム小説集』(チョ・ナムジュ他著)や『彼女の名前は』(チョ・ナムジュ著)などがよく言及される。前者は7名の女性作家による短編のアンソロジーであり、訳者解説によれば、「フェミニズム」というテーマで編まれたアンソロジーはこれが初めてだという。後者は9歳から69歳までの60余名の女性たちに聞いた話をベースにした、28編の物語である。
実在したアダルトサイト「ソラネット」とそれに立ち向かった女性たちを描いたドキュメンタリー小説『ハヨンガ:ハーイ、おこづかいデートしない?』(チョン・ミギョン著)にも触れておきたい。フェミニズム運動とデジタル性暴力を考えるためには欠かせないテクストであり、この小説に出てくる「メドゥーサ」とはメガリアのことである。
女性作家の作品だからといってそれがフェミニズム文学とは限らないことは言を俟たず、またどこからどこまでがフェミニズム文学なのか、その境界はおぼろげだが、女性作家が物した作品には、女性が感じる社会への違和感や生きづらさの「声」を、おのおの程度の差はあれ、反映させているものが多いのは事実だろう。
旧日本軍の慰安婦問題を取り上げた『ひとり』(キム・スム著)や、済州島の海女の声を代理表象した詩集『海女たち:愛を抱かずしてどうして海に入られようか』(ホ・ヨンソン著)なども、女性の生に思考を傾ける上で極めて重要な述作である。
人気ミュージシャンによるエッセイも
フェミニズム文学は、小説だけに局限されない。『私は自分のパイを求めるだけであって人類を救いにきたわけじゃない』(キム・ジナ著)のようなエッセイ集もある。ミュージシャンでもあるイ・ランのエッセイ集『話し足りなかった日』や『日刊イ・スラ:私たちのあいだの話』(イ・スラ著)もいい。今月日本語訳が出たばかりの『大邱の夜、ソウルの夜』(ソン・アラム著)は、家族や社会と絶え間なく葛藤するふたりの女性を描いたグラフィックノベルとして注目される。
男性作家の手になるフェミニズム小説もある。チャン・ガンミョンの『韓国が嫌いで』がそれである。帯には「女もすなるフェミニズム小説といふものを、男もしてみむとするなり」とある。男子高校の男性教師が書いたフェミニズムエッセイ『私は男でフェミニストです』(チェ・スンボム著)も必読書である。
主人公「僕」の視点からフェミニストの彼女の姿を描いた『僕の狂ったフェミ彼女』(ミン・ジヒョン著)も来月日本語訳が出るという。
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