地方に残る「自称進学校」はムダ学習の温床だ 志望校に必要ない学習を強制する洗脳的教育
逆に、上位進学校だと、生徒が個人主義的であり、よくも悪くも自分の頭で主体的に考えて効率化しようとするので、無駄な行事に参加しなかったり、団結心がなく統率がとれなかったりする一面もあります。しかし、受験は団体戦ではなく、あくまで個人戦ですから、私はこれでいいと思っています。
悪いのは課外や補講ではなく、その内容
ここまでにいろいろと批判しましたが、課外や補講自体が悪いことなのではありません。超進学校の生徒は自分で考えて行動できるので自由に任せられますが、少しレベルが下がってくると、どうしても遊びに流れやすくなります。ですから、言い方は悪いのですが、学校が性悪説にもとづいて生徒を束縛し、無理やりにでも勉強時間を確保させるという思想自体には、私も多少は納得できます(なぜかというと、私の塾でも強制力そのものは大切にしているからです)。しかし、問題は、そのやらせる内容にあるのです。
受験勉強は、一人ひとりやるべきことがちがいます。英語を一生懸命やるべき生徒もいれば、数学を根本から復習し直すほうがよい生徒もいます。また、同じ英語や数学でも、苦手な分野やつまずくところが異なっています。
ところが、課外や補講は集団指導形式ですから、全員がまったく同じものをひたすらやり続けることになってしまいます。私の運営する個別指導塾CASTDICEでインターンをしているとある学生は私立大文系志望で、早大を英語、国語、日本史で受験したのですが、数学はそもそも使わない教科であったにもかかわらず、九大の数学の過去問を高3の最後まで強制的に解かされていました。おまけに補講まで強制的に受けさせられ、課題も全部やってこいと言われていたそうです。率直に言って、無駄ですよね。
たとえ受験で必要な教科だったとしても、上位の生徒にしてみれば課外授業や補講でやっている内容は簡単すぎますし、逆に勉強が苦手な生徒からすると、全然わからなくてついていけないという状態に陥ってしまいます。勉強時間を確保するという点ではよいのですが、やる内容はできるだけ個別化しないと意味がないのです。
ただ、学校の先生の多くは、そういう指導をしてくれません。自称進学校による「洗脳」を避け、全体主義的な環境に取り込まれないようにするためには、自分で考え情報を集めて行動しなければなりません。それに尽きます。
早朝の「ゼロ限」や補講、膨大な課題で束縛する自称進学校。その根底には「学校がすべて指導してくれるから安心」という、生徒と保護者の依存思想がある。情報を集めて自分で考え、環境に取り込まれないようにしましょう。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら