400年続く平安京を荒廃させた「平清盛」衝撃行動 大きな反感買った「神戸への遷都」強行したワケ

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平清盛が強行した「福原遷都」について解説します(写真:Nori/PIXTA)
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』やフジテレビ系列のアニメ『平家物語』の放送で、源氏や平氏の歴史に注目が集まっています。平氏の棟梁である平清盛は「暴君」「傲慢」というイメージを持たれがちですが、その原因の1つが平安京(京都)から福原(神戸市)への遷都を強行したことにあります。なぜ清盛はそうした行動に出たのでしょうか。歴史学者の濱田浩一郎氏が解説します。

福原遷都を突然強行した平清盛

『平家物語』は、平清盛による「福原遷都」を次のように描いている。

『治承4年(1180)年6月3日に安徳天皇らが福原(神戸市)へ行幸(天皇が出かけること)されるというので、都は大変な騒ぎとなる。近いうちに、遷都するのではとの噂はあったが、にわかに今日や明日とは誰も思ってはいなかった。

よって「これは、どうしたことだろう」と身分が上の者も下の者も口々に騒いでいた。そればかりか、行幸は3日とのことであったが、1日早くなり、2日に行われることになったのだ』(著者による現代語訳)。

これが、有名な福原遷都の場面である。当時の公卿・九条兼実の日記『玉葉』(治承4<1180>年5月30日条)には「来月3日に福原に行幸あるべし」と記されている。兼実は突然の行幸(遷都)に「仰天」した。

また、3日のはずの行幸が2日になったことについては「言語のおよぶところにあらず」と嘆息。遷都を「天狗の所為、実にただごとにあらず」として「乱世に生まれて、このようなことを見ることになるとは、悲しむべき宿業だ」とひたすら嘆くのであった。

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