打倒平氏の命令受けた源頼朝「最初は静観」のなぜ 挙兵のきっかけとされる以仁王の令旨をめぐる謎

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打倒平氏へ源頼朝が挙兵した経緯を解説します(画像:川崎市民団体Coaクラブ/PIXTA)
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』やフジテレビ系列のアニメ『平家物語』の放送が始まり、源氏や平氏の歴史に注目が集まっています。
源頼朝は13歳のとき、父・源義朝とともに平治の乱(1159年)に参戦して敗北。逃亡するも捕らえられ、伊豆に配流されました。その後、わが世の春を謳歌していた平清盛の打倒をもくろんでいた頼朝は、どのような経緯で挙兵に至ったのでしょうか。歴史学者の濱田浩一郎氏が解説します。

源頼朝の挙兵前に数々の怪異現象を体験した平清盛

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝の挙兵にまつわる話が描かれている。第3話のタイトルは「挙兵は慎重に」であったが、有名な古典『平家物語』には、頼朝の挙兵直前に怪異現象があったことを記している。

福原(神戸市)へ入った平清盛に数々の怪異現象が襲ったというのだ。例えば、清盛が寝ているところに、巨大な顔が現れて覗いたり、死人のどくろが現れたりしたという。普通の人間なら卒倒しそうな出来事である。

ところが、清盛は少しも恐れず、その大きな顔やどくろをじっとにらみつけ、ついには退散させてしまうのであった。『平家物語』というと、清盛を悪人として描いていると思われがちだが、怪異の逸話を見ても分かるように、そうではない。剛毅な男として、清盛を描いている。

怪異はまだ続く。清盛が大事にしていた馬にネズミが巣をつくり、子を産んだのだ。7人の陰陽師に占わせたところ、「重い御慎み」との結果が出た。馬の尾にネズミが巣を作り、子を産むことは、兇賊蜂起の前兆であるという(『平家物語』)。この馬は、相模国の豪族・大庭景親が清盛に献上したものであった。

そして『平家物語』には、源頼朝の挙兵についてこう記されている。

「治承4(1180)年9月2日、相模国の大庭景親が、早馬でもって、福原(にいる平清盛)に急報してきた」(『平家物語』を筆者が現代語訳)

清盛が寝ているときの怪異現象、大庭景親が清盛に贈った馬に関する凶賊蜂起の前兆のエピソード、そして景親による早馬の話によって、頼朝と清盛の戦いに至る運命が描かれている。

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