「暴君」は大誤解!源氏の宿敵「平清盛」意外な素顔

地方からのし上がり、栄華を極められた理由

悪者のイメージがついている平清盛ですが、その素顔について解説します(写真:白熊/PIXTA)
1月9日にスタートするNHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源頼朝の妻・北条政子の弟で鎌倉幕府の第2代執権である北条義時が主人公として描かれる。その北条義時の幼少期に権勢を振るっていたのが、源氏の宿敵である平清盛だ。
『平家物語』の影響で、平清盛は「暴君」「傲慢」というイメージを持たれがちだが、実際の素顔はそのイメージとは大きく異なるという。平清盛の実像と出世の過程について、歴史学者の濱田浩一郎氏が解説する。

伊勢平氏の棟梁の嫡男として誕生

平安時代末期の武将・平清盛というと「平家にあらずんば人にあらず」の言葉に象徴されるように、武士として初めて太政大臣に任じられ、平家一門の栄華を築き、専横を極めた人物との印象が強いかもしれない。

彼はなぜそれほどまでに出世することができたのか。その秘密について、触れていきたいと思う。

清盛の出世の基盤となったのは、彼の生まれである。清盛は永久6年(1118)、伊勢平氏の棟梁・忠盛の嫡男として生を受けた。忠盛は、備前守という地方官に過ぎなかったが、白河法皇の覚えめでたく「富は巨万を累ね、奴僕、国に満ち、武威、人にすぐ」と同時代の人に評された人物であった。今風に言うと、清盛はお坊っちゃんだったと言える。

清盛の母については、白河法皇の寵愛を受けた祇園女御(もしくはその妹)という説もあるが、これは俗説である。ただ、白河法皇に仕えていた女官がその母というのは間違いないようだ。

ちなみに、清盛の祖父・正盛は女御や白河法皇の近臣と関係を構築し、検非違使(一国の警察権を預かる)などに任命され、出世の緒を掴んだ。

清盛は大治4年(1129)に元服するが、その際、従五位下、左兵衛佐に任じられる。摂関家の子弟と同程度の待遇といわれるが、これは前述のような清盛以前の父祖の功績、政界遊泳術があったからといえるだろう(清盛が3歳の時、実母が亡くなり、幼い清盛を養育したのは、祇園女御だったとの説もある)。

清盛出世の秘密の2つ目は、彼自身の政界遊泳術だ。保元・平治の乱(1156、1159年)という内乱を勝ち抜いた後の話である。

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