「暴君」は大誤解!源氏の宿敵「平清盛」意外な素顔 地方からのし上がり、栄華を極められた理由

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当時、後白河上皇と二条天皇は不和であった。この親子対立を見て、貴族たちは両派に分かれて対立していたが、清盛は違った。「アナタコナタ(彼方此方)シケル」と『愚管抄』(鎌倉時代初期の史論書。僧侶・慈円の著作)に評されたように、どちらか一方に与するのではなく、両方ともに気を配り、行動したのである。

極めて慎重な行動といえようが、複雑な政界をうまい具合に渡っていくには、これが最適であろう。

清盛と言うと『平家物語』の影響で、傲慢で血気盛んなイメージがあるかもしれないが、そうではない。鎌倉時代中期の教訓説話集『十訓抄』には清盛にまつわる次のような逸話が記されている。

「こういうこと(気遣い)は福原の大相国入道(清盛)の若いころが立派な人だった。間が悪く、苦々しいことであっても、その人が戯れでやったこととして、その人への気遣いとして、面白くなくても笑った。どんな過ちをしても、物を打ち壊し、あきれ果てたことをしても、どうしようもないなどと声を荒らげたりはしなかった」

どうであろうか。これまでの清盛像を打ち壊すに十分な逸話ではなかろうか。清盛のイメージは、この話の逆であろう。

清盛は計算ずくで行動していた?

また同書にはこのような話もある。

「冬の寒いときは年の若い侍たちを自分の衣の裾の下に寝かせた。朝早く、彼らが寝ていたならば、そっと抜けだして思う存分に寝かせた」

「召し使いに取り立てることも出来ない低い身分の者でも彼の身内の見ているところでは一人前として丁重に扱った」

「このような情けによって、さまざまな人が清盛を好きになった。人の心を感動させるとは、こういうことである」

同書の第七に清盛の逸話が掲載されているのだが、第七のテーマは「思慮を専らにすべき事」。思慮とは「十分に考え思うこと。注意をはらって考え判断すること」であるが、私にはこの逸話の清盛が思慮(つまり計算)して、これらのような行為をしたとは思えないのだ。

清盛は自然に純粋に、思いやりのある行動を人に対してとったのではなかったか。そうでなければ、計算ずくの想いは見透かされ、真の感動を勝ち取ることなどできなかったと感じるのである。

『十訓抄』の逸話から、清盛は度量が広く、心遣いができて、人情家であることが窺える。この清盛の性格が出世の秘密の第2の理由だ。

次ページ第3、第4の理由は?
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