本書では尹氏の事件や韓国政府、報道などを批判的に書いていますが、これは日本に媚びを売るためでは決してありません。慰安婦問題で「日本には誤りがなかった」と日本の読者が誤読しないか心配していますが、本書で韓国を批判しているのは、韓国がより堂々とした国になってほしいと思うからです。つまり、ジャーナリストが普段からやるべきことをやったまでです。
──慰安婦団体を「報道の聖域」とする考えは、尹氏の事件でなくなったと指摘しています。「反日でないといけない」といった対日報道はいまだ聖域でしょうか。
確かに日本関連の報道は最後の聖域でしょう。これには2つの種類があります。まず日本に有利、あるいは韓国に不利な記事を書いてはいけないというもの。もう1つは反日的な性向の団体に不利な記事を書いてはいけないというものです。
「反日一辺倒」から徐々に脱却している
後者は尹氏の事件で突破口ができました。前者については自助努力をしてきており、反日一辺倒の報道から確実に変化していると日本にも伝えたい。
日本のことを客観的、あるいは肯定的に書けば「親日派」の烙印を押されていた時代は確かにありました。そんなときでも、私は東亜日報の編集局長として「日本を批判する記事ばかり出すのではなく、日本を理解するような記事も出せ」と記者たちに強く言っていた。本書のように日本が深く絡む問題で韓国内部を批判することにはまだ勇気が必要ですが、より客観的な対日報道は可能なのだと、後輩のジャーナリストたちにハッパをかける気持ちもあります。
──韓国の読者は日本に批判的ではない報道を受け入れますか。
東亜日報記者時代、自分が書いた記事で最も多くのメールを読者からもらったのは、日本の育毛剤の記事でした。次に、日本に留学する外国人学生への奨学金支給を日本政府が検討するというもの。当時、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判した記事には、メールが1通も来ませんでした。すでに韓国国民も、日本関連の報道について客観的に判断できるレベルにあると考えています。
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