「配属ガチャ」「上司ガチャ」が何とも不毛すぎる訳 キャリア形成、「いい仕事」は待つ時代じゃない

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このように、「配属ガチャ」や「上司ガチャ」はキャリアの安易なリセットを引き起こしかねない、現代社会ならではの問題だとも捉えることができるだろう。しかし、この問題の根底に流れるものは、むしろ昔から変わっていない。「ガチャ」と表現されるのは、配属先が決まるまで仕事内容や一緒に働く人の情報がわからないから。つまり、「企業と個人の間で情報の非対称性が生じていること」が原因でもある。

個人からしてみれば、まるで商品の中身を見ずにパッケージだけで購入をしなければならない状態。ふたを開けてみたら予想と違ったというミスマッチも、雇用市場ではたびたび起こっている。大手企業であるほど、採用に関わる社員と実際の部署で直属の先輩や上司になる社員は異なる場合も多く、「入社前に会った人、聞いていた話と違う」というギャップが生じることも、当たりはずれのあるガチャのように感じられるのだろう。

相互に情報開示しあう必要がある

そのため、本質的な問題解決のためには、これまで以上に採用する側・される側が相互に情報開示しあうことが欠かせない。

また、若手個人としても「ガチャ」の結果に振り回されている状態は、会社から与えられた機会に左右されているだけで、キャリアには受け身的だと言える。「会社が自分に合った仕事をさせてくれない」「上司や同僚のせいでいい仕事ができない」と他責している側面が多少なりともあるからだ。与えられた機会が外れだったとリセットを繰り返しては、キャリアアップは徐々に難しくなってしまう。

本来は、ガチャに一喜一憂するのではなく、個人としては、中長期のキャリアを見据えて主体的に行動していくことが大切だ。

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