「人生の目標は何だっていいんだ」と気づいた日 資本主義の論理から飛び出す「50代冒険家」

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だって、ちょっと考えてみてください。例えばあなたが何かを買いたいと思ったとしよう。その時、あなたは何を基準にそれを買うかどうかを決めるだろうか? 

普通は「品質」とか「値段」とか「好みに合うかどうか」とかですよね。でも私はこれから、何よりもその製品が「プラスティックかどうか」あるいは「プラスティックに包まれているかどうか」を購入の基準に高く掲げようというのである。

その製品がどれほど素敵だろうが安かろうが、そんなことは二の次三の次。早い話が、プラに包まれている時点で選択肢から外すことも辞さないというのである。そんなことやってる人、あるいはやろうとしている人を少なくとも私は知らなかった。

つまりは私はこれから、現代人の(たぶん)誰も歩んだことのない、未知の荒野を進む冒険を人知れず開始するのである。50歳にしての冒険家人生。いやー、考えただけでワクワクするじゃありませんか。

資本主義の論理から勝手に飛び出す

そして第2に、このアイデアが素晴らしいのは、これまで崇めてきた「お金」という、神のごとくわが人生を支配してきた存在からの脱却を意味するということである。

世のほとんどの人と同様、私もこれまでは常に「お買い得かどうか」がモノを買ううえでの大きな決め手であった。スーパーでは割安な品に手を伸ばし、ネットでは価格をじっくり比較して安いものを買うのが当然。それは、お金を少しでも溜め込んだものが幸せになれるという強固な人生観に基づくものであった。

なのにこれからは、それとは何の関係もない基準を人生に持ち込もうというのだ。それは大げさに言えば、世間一般を支配する資本主義の息苦しい論理から、一人勝手に飛び出す行為である。

ま、冷静に考えれば私一人がそんなことしようがするまいが世の中にはほぼ何の影響もなく、だからどうなんだって話ではあるが、そうであったとしてもわが人生を延々と支配してきた化け物のような存在を蹴っ飛ばすような、なんとも爽快な心持ちがせずにはいられなかったのである。

そして第3に、このアイデアの愛らしいところは、自分は決して孤独ではないという妄想で人生を満たしてくれるところだ。

だってですよ、私はこれから日本に帰り、おそらくは南インドを再訪することなど二度とない確率が高いわけだけれど、そのインドから遠く離れた日本のどこぞの店でプラスティックに包まれていないものを探し出して買おうと奮闘努力するたびに、南インドでお世話になった優しくお茶目なインドの方々を頭に思い浮かべ、その方々の幸せに私はほんのちょっぴりではあるがちゃんと貢献しているのだと思うことができるのである。

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