本屋に入って、きちんと並んだ本たちの背表紙を眺めていると、不安に襲われることがある。自分が一生のうちに読める本がごくわずかなのだ、と思うからだ。
「読んでいない本のことを思うと、まだ幸福だと確信する」とフランスの文筆家、ジュール・ルナールが言ったそうだが、そう呑気には考えられない。進まなかった道、落ちなかった恋と同じように、読み損ねた本のせいで、運命が変わってしまうこともあるだろう……そう考えただけで焦燥に駆られて、手当たり次第に読み漁ったりするわけだが、そうした慌ただしい読書は、われながらやや病的だとさえ思う。
今年も『蜻蛉日記』の季節がやってきた
ところが、私のような物語ジャンキーでも、繰り返して読み直したくなる作品がいくつかある。その1つは、本連載でも何度かしつこく取り上げさせていただいている、「みっちゃん」こと、藤原道綱母が著した『蜻蛉日記』だ。
過去の関連記事がすべて2月ごろに発信されていることもあり、ここ数年は1月の半ばに入ってくると、『蜻蛉日記』を再び読みたいという気持ちが無性に湧き上がってきて落ち着かなくなるのだ。またみっちゃんの季節がめぐってきたんだな、と勝手にワクワクしてしまうもの。
肌を突き刺すような寒さだからこそ、1000年以上もの間にふつふつと煮込んだ嫉妬や怒りに触れて、妙に心が温まる。ということで、今年もお約束の「みっちゃん便り」をお届けする。
『蜻蛉日記』は裏切られてもなお、夫を待ち続ける妻の悲鳴と絶望がどっぷり詰まった作品でありながら、女性の手による最古の日記文学でもある。その後、嘆き喚くみっちゃんに背中を押されるかのように、『紫式部日記』『更級日記』『讃岐典侍日記』といった、女たちの心の中に渦巻く感情を捉えた名作が次々と現れたのだ。
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