「監視国家中国」を笑えない日本の「硬直社会」 「根回し」と「一国二制度」から考える日中の本質

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中国との関係は東アジアだけでなく世界秩序にとって大きな問題となっている(写真:Jasmin Wang/PIXTA)
監視国家といわれる中国社会は、意外にも自由で放任な社会だという。近著『中国史とつなげて学ぶ日本全史』を上梓した岡本隆司氏と、日本政治外交史を研究する五百旗頭薫氏が、中国社会、日本社会の本質について縦横に語りあう。

なぜ中国の実態を見誤るのか

五百旗頭:前回の議論で、東アジア秩序の安定に話が及びましたが、中国との関係は東アジアだけでなく世界秩序にとって大きな問題になっています。中国との対話の難しさというのをどう捉えればよいか。習近平の独裁だから、独裁者には情報が行かないから、コミュニケーションをとるのが難しい、といった話で、われわれは納得してしまうところがあります。

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本当は、根本的に社会のあり方が違うからコミュニケーションが難しいのかもしれません。しかしそのように論じると、中国は自分たちとは違うのだ、と言っているかのようになる。これに対する知的なためらいが働いている気がしています。

岡本:そうでしょうね。政治と社会のあり方が違うというと、ともすれば差別みたいに聞こえるので、躊躇する心情はわからなくはありません。

しかし経てきた来歴が違うのだから、違っていてあたりまえで、それを指摘すること自体は、差別でも何でもないはずです。差別ととるほうが、むしろ無意識の自己優越のあらわれではないでしょうか。時間の厚みを加えて語ってやれば、躊躇は希薄になると思いますし、わたし自身はそう心がけるようにしています。

五百旗頭:とかく、現状の説明しやすい側面を見て説明してしまう感じなんですね。だから、そういう意味でも岡本先生の本を読んで、きちんと歴史をさかのぼって考えなければいけないと思ったところです。

岡本:要するに、人は自分の常識でしか相手を見ることができない。例えば、アメリカはすぐ「文明の衝突」的な形で中国とかを見てしまう。デモクラシー対オートクラシーというふうなことで短絡的にとらえようとする。

これは神と悪魔的な西洋流の二分法が発想の根源にあるんだろうと思いますし、またわかりやすく言おうとすると、二項対立に整理するのが捷径簡便(しょうけいかんべん)になりますが、やはり少し単純短絡に失する。デモクラシーは自分たちで、そうじゃないとオートクラシーっていうんですが、これも自己優越そのものでして、いわゆるオートクラシーの中身をどこまで考えているかは未知数です。

この問題については、お互いに自分たちのスタイルを押し付けるのではなくで、相手のことをもう少し考えるようになるといいのかなと思います。とくにアメリカのほうが、もうすこし中国を理解する必要があると思っていますが、同じことが日本にも言える。もうすこし相手をわかろうとする姿勢が大切なんだろうなと。

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