社会人大学院で「地獄」を見た教授の学び直し論 あえて「無目的に学ぶ」勇気がキャリアを育てる

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元ファンドマネジャーの経歴を持つ、昭和女子大学・山田隆教授の学び直し論とは?(撮影:大澤誠)
社会人になってから大学・大学院などでの学び直しを経験し、それをキャリアに活かした人たちにインタビューする本連載。初回は本連載の聞き手でもある角田陽一郎氏に、東大大学院に通う理由を語ってもらった。
連載第2回となる今回は、昭和女子大学にて教鞭をとる山田隆氏を取材。平成25年に開設されたグローバルビジネス学部にて、会計ファイナンス学科を教える山田氏は、大和証券にて5年間セールスを経験したのち、新光投信などで20年近くファンドマネジャーを務めた経歴を持つ人物だ。
彼の経歴を見て「会社員として上り詰めたのち、コネを使って、教授にジョブチェンジしたんだろう」と思う人もいるかもしれない。しかし、実際は教授になるまでに学び直し開始から10年以上かかっており、「当時は大変でした。朝まで課題をして、そのまま仕事をすることもあったので……」と、氏が振り返る経緯はなかなか苛烈だ。

ファンドマネジャー時代に学び直しを開始

ーー大学院(早稲田大学大学院ファイナンス研究科専門職学位課程)で、学び直すことになった経緯を教えてください。

山田:今思えば、証券営業からファンドマネジャーに転職していたことが大きかったと思います。

ーーと、言いますと?

山田:私が新卒入社したのは証券会社で、全国転勤のある営業職だったんですね。でも、新卒時代に指導してくれた先輩が、ファンドマネジャーを目指していて。そこで初めて「こういう職業が証券業界にもあるんだな」って知って、面白そうだと自分でも目指すことにしたんです。結果、5年ぐらい証券営業をやってから資産運用会社に転職、ファンドマネジャーになることができました。

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転勤が前提である証券営業と違って、資産運用会社は東京にオフィスがあります。だから、もし証券営業のままでいたら、「大学院に行こう」とは思わなかった気がするんです。

ーー転勤がない仕事になったことが、学び直しに影響していたと。

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