山田:そして、たまたま会社から歩いて5分のところに、金融系の大学院ができたことも影響しています。平日の夜と土日だったんですけど、「じゃあ行ってみようかな」と思って、仕事のかたわら通うことにしました。37歳の時のことでした。
想像と違う? 過酷な社会人大学院
ーー当時、ご自身のキャリアアップは考えていましたか。
山田:そうですね。心のどこかで、「余生は大学で教鞭を取れたらいいな」と思っていました。
でも、そういう意味で言うと、教師の仕事は、小学生の頃から夢見ていたことなんです。卒業文集に「将来は教師になる」って書いてあったんですよ。
ところが、なにを間違ったのか大学では教職も取らず、経済系の会計なんかを勉強して金融業界に入ってしまった。ズレていっている自覚はあったんですけど、今振り返ってみると、子どもの頃に夢見たものを迂回して実現したような、そんな不思議な感覚がありますね。大学の教授になろうと思って、金融業界で働いたわけじゃないんですけど。
ーー実際に大学院に通い始めて、どうでしたか。
山田:好きで行ったけど、結構、地獄でしたね(笑)。
社会人大学院って、社会人が来てるって知りながら、容赦なく課題を出すんですよ。課題が出た日は明け方4時ぐらいまでそれをやって、寝ないまま会社に行って仕事する。しかも、土日も朝から授業がある……という日々でした。
そんな厳しい2年間だったので、指導教官に博士課程を進められたものの、すぐには決心がつかなくて、1年ほど考えていたんです。
でも、先に博士課程に進んだ人から「山田さんのやろうとしている研究のテーマに合う先生がいますよ」と紹介してもらえることになって。そういう縁もあって、「最後まで行ってみようかな」と思って、博士課程にも行くことに決めました。
ーー人の縁も、学び直しに影響していたと。
山田:でも、博士課程に進んだらまたキツくてキツくて。本当に情け容赦ないなあ……と思いながら、学問の厳しさを感じる日々でした。博士号を取得するのに、4年かかりました。もう一回やれって言われても、絶対にもうできないと思います。
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