「営業は24時間365日」が当たり前と思っていた。朝から晩まで働き、接待にいそしみ、帰宅は夜11時、12時。家のことは主婦の妻がすべて責任を持つ。仕事優先の生活を、結婚後も8年間、続けた。昭和な家庭に育った妻は、それを「当然のこと」として受け入れた。2年の遠距離恋愛の後、妻は結婚退社し夫の勤務地へ。妻にとっては誰も知り合いのいない土地だった。
当時のことを思い出し、夫は言う。「妻は実家からも遠く、身寄りもない中で寂しかったと思いますが、私には、その部分への想像力は、恥ずかしながらまったく及びませんでした」。
主婦家庭の夫が、ワーク・ライフ・バランスを考えることはできるのか。そんなぜいたくは「子育てしながら働く母親の特権」なのか。仮に男性にも可能だとしたら、それは「バランスを取っている」のではなく「キャリアをあきらめただけ」ではないのか。
今回登場する、吉原卓也さんは、こうした疑問に身をもって答えてくれる。スーツを着て大企業で働く営業マン。その肩には妻と娘2人の生活がかかっている。そういう日本中にたくさんいるお父さんたちが大黒柱としての責任を果たしながら、家庭参加はどこまで可能なのか。
長時間労働を生きた上司の、思いがけない一言
外形標準から言えば、現在、吉原さんは「仕事と家庭生活の調和」が取れた生活を送っている。目標帰宅時刻は毎晩7時。「家族の夕食に途中からではありますが、加わることができる」時間帯だ。その後はお皿を洗い、2人のお嬢さんをお風呂に入れ、寝かしつけるところまで、家事と育児を担う。
……と書くと「またイクメン自慢か」と思われるかもしれないので、あらかじめ断っておきたい。彼は自分の家事育児参加を、いっさい、自慢しない。
「夜7時からの家事なんて、たかが知れていますけれど……」と付け加える。この一言に、家事は手伝ったくらいで終わるものではない、という主婦業の大変さへの理解がにじんでいる。
働き方を変えたきっかけをくれたのは、直属の上司だった。第1子が生まれた2008年ごろ、ファザーリング・ジャパン設立者の安藤哲也さんが書いた本を、上司から手渡された。当時の吉原さんは仕事優先と考えていたから、「こういう世界もあるんだ……と驚きました」。長時間労働もいとわない職場だったが、いや、そうだったからこそ、上司たちは吉原さんに言った。「家庭を大事にしたほうがいいよ」。そこには、自身の生き方への反省も込められていたかもしれない。
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