吉原さんのSNSには、よくお嬢さんたちとのやり取りがメモされている。「父の目線」がとらえる娘たちの姿は、がっつり育児に向き合った経験を持つ人なら、男女問わず「ある、ある!」と言いたくなるような、生き生きとしたものだ。そこには、日常的な親子関係にまつわる、愛とけんかとかわいらしさと面倒くささと、それらすべてをひっくるめた幸せが描かれている。
昭和的な専業主婦家庭からの「進化」
こういう吉原さんも、昔から子ども好きだったわけではなく、結婚当初は伝統的な価値観だった。共働き家庭で育ち、電電公社(当時)で働く母は夜勤や泊まり勤務もあったため、父が家事の多くを担っていた。吉原さんが小学4年生のとき、母が転勤して保育園のお迎えに行けなくなったため、5歳離れた妹のお迎えを、吉原さんが1年間にわたり、担当した。16時までに遊びを切り上げ、17時には保育園へ迎えに行っていた。小学生といえども「お手伝い」の域を超え、家庭内で責任を果たしていたのだ。
「今、思えば、共働き家庭において家族それぞれが役割分担しながら暮らしていたのだな、と思います」と当時を振り返る。
ただ、父がイクメンだったから、自分もそれを目指したとは、一筋縄ではいかないところが面白い。「父は男なのに家事をしていて大変だなと思っていましたし、自分は専業主婦家庭を持ちたいと、子どもの頃は思っていました」。
結果的に結婚後、吉原さんの妻は専業主婦になったが、それは昭和的な専業主婦家庭とはだいぶ違うように見える。家計を担う責任と家事育児の責任を夫婦で分担する一方、お互いの「責任」や「大変さ」を理解し、可能なかぎり相手の担当分野もサポートする。進化形の専業主婦家庭と言うのがふさわしい。今の生活で得たものについて、こんなふうにとらえている。
「育児をしているといろいろな『違い』に触れます。それは妻との間でもそうですし、子どもとの間でもそうですし、世間との間でも。このことに気づけたことは非常に重要だと思っています。違う意見の人、違う境遇の人と仕事をしたり、生活するとき、違うことを理解し、尊重できることが大事です。育児にかかわると、そういうことに気づく機会がとても多く、そのような経験ができたことは、非常に幸せなことだと思います」
いちばん身近な家族や職場で一緒に働く人たちと、よりよい方向性を考える。そのために、話し合いを続け、いさかいからも逃げない。単純に「女性も働き続ける」ことにとどまらない、新しい、夫婦の進化の形がここにある。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら