気候変動が「国境閉鎖や戦争リスク」を高める理由 「国民国家」と「国境」の歴史を変える「人新世」
地政学研究の第一人者であるロンドン大学のクラウス・ドッズ教授が、人新世で激化する新しい「国境紛争」の概念に迫った新刊『新しい国境 新しい地政学』序章から一部抜粋してお届けする。
国民国家の誕生と国境の歴史
国境は政治家に利用されるものである一方、どこかに根付いてもいる。私たちが日常的に意識するのは町や都市の中の国境だろうが、地図上に引かれたその線は、砂漠や平原、山地、河川、湖沼、海、ジャングル、さらには地中の環境にまで刻まれていることを忘れるべきではない。
空は国内の空域と国際的な空域に分けられており、第三者は、領土の上空はもちろん、海岸線から12海里(約22キロメートル)以内の空域に入る時には、事前に許可を得るべきものとされている。南シナ海や、シリアとその周辺などの緊張が高まっている地域では、敵対する軍同士が互いの領空侵犯を非難し合うことも珍しくない。軍用ジェット機の速度と空域の性質を考えると、そうした「侵犯」はほんの数秒のことであり、侵入機は航跡に蒸気の痕跡を残すのみだろうが。
地上においては、かねて河川や山地や砂漠が、国境を画すべき自然な機会並びに、動かしがたい仕切りを提供してきた。それでうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあった。
ピレネー山脈は長らくスペインとフランスの間の天然の国境線と考えられていたが(1659年には双方の王国によってそのことが確認された)、人や動物は山の背や谷を縦横に行き来していた。両国が分水界と山々の頂を基準に明確な国境を確定したのは、1866年〜1868年にバイヨンヌ条約が締結されてからのことだ。
山地に適用される国境のルールは、いずれ自然の変化によって損なわれる。稜線や山頂は時を経るとともに浸食されるし、氷河が退縮すれば、まず間違いなく国境再確定の機会が惹起されることになろう。
国境のインフラが、一部の人々が期待するような警備の仕事を果たすことは滅多にない。ルールが作られ、手続きが決められるものの、その後に何か別のことが起こり、それらすべての頼りなさが露呈する。
2018年1月、中国とラオスの国境の検問所に近づく好奇心旺盛なゾウの姿を、監視カメラがとらえた。ゾウは平然と足を上げ、警備用の障壁を踏み越えた。夜半の採食を終えると、ゾウは2時間足らずで中国側に戻った。これを止めようとする勇気のある者は誰もいなかった。これは自然が人為的な国境に反抗した無害な実例である。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら