気候変動が「国境閉鎖や戦争リスク」を高める理由 「国民国家」と「国境」の歴史を変える「人新世」

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2020年の最初の半年間だけでも、医療機器の後ろ暗い貿易取引や詐欺、横取りなどを暴露する記事が数多く見られた。特にアメリカは、卓越した資金力に物を言わせてワクチンを高値で大量に買ってしまうと、NATOの同盟国からも非難されている。

結果として、私たちは当面、国境への関心を失うことはないだろう。極地の海や、海洋底、月などといった遠隔の地は、中国、ロシア、アメリカから注視されている。そうした大国だけではない。実業家のイーロン・マスクは火星に新たな文明を築く夢を持つ。資源の争奪戦は終結するにはほど遠く、アフリカとアジアで人口が増え続けるに連れ、激化するだろう。エネルギー転換や「ネットゼロ」の目標が語られてはいるが、石炭、石油、ガスへの依存を世界的に継続しない限り、電化も再生可能エネルギーの成長も実現するまい。戦略的鉱物資源の需要が減少することはなく、それゆえに海洋や南極といったこれまでになく遠方の地球上の一角をめぐって、新たな緊張が生み出されるかもしれない。

人々が集団移住を開始する可能性も

1つはっきりしているのは、私たちが経済成長を過大評価する一方で、気候変動を緩和するために必要な作業量を過小評価する傾向にあるということだ。世界がより温暖で湿潤になれば、標高の高い土地の需要が高まるほか、洪水や高温のリスクが増したり、生物多様性が失われたりするだろう。そして多くの国が気候変動の影響をより真剣に考えなければならなくなるだろう。かつてなら、世界中の土着の共同体が、居住地を変えたり、移動放牧(家畜を冬は低地に、夏は高地に移す)のような季節性の統治モデルを採用したりしたに違いない。国内外の境界線は、そのような移動能力と、気候適応性とも呼ぶべきものを妨げることとなった。

「人新世」(アントロポセン)という言葉は、人類が地球の変化に及ぼした累積的な影響を示す便利な用語として、世間や政界での注目が高まっている(アントロポスは「人間」を意味する古代ギリシャ語)。この星の海は酸性化し、氷河は解け、河川は縮小し、森林は減少しつつある。時期や目的、将来の影響などに関する激論を続けながらも、私たちは、しばしば産出量や生産高を最大化するために、自然界を分割し続けている。

しかし土地や海、食料や水などの重要な資源を手に入れようとする権力者や特権階級の衝動が弱まることはないだろう。世界は十中八九、河川や氷河、帯水層や森林をめぐる新たな対立を目にすることになるはずだ。水の共有、疾病予防、汚染防止といった協力の機が熟した分野でも、国境での破壊行為が発生すれば、各国はあっさり協力をあきらめてしまうかもしれない。

一方で、先住民族などのコミュニティはすでに、河川や自分たちの居住地の(権利や責任や特権を伴う)法的人格を主張し、さらなる環境の毀損に抵抗したり、損害の回復と補償を要求したりしている。人新世は国際間および共同体間の対立を間違いなく激化させるだろう。河川や三角州、沼沢地、山地、湖沼、森林、島、海岸線、平地などが、そのあおりを受けることになる。排他的な主権や、固定された国境などという神話に拘泥することは危険だ。

私たちは、地球上の変化の複雑な現実や、気候変動と対立の激化を受けて人々が集団移住を開始する可能性をも視野に入れた、抜本的に異なる国境観を養う必要がある。

クラウス・ドッズ ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校教授

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Klaus Dodds

地政学研究に関する英国の第一人者の一人。グローバルな地政学と環境安全保障の専門家。国境問題をテーマにした講演やメディアでのパネルディスカッションにもしばしば招かれている。また、「すでに国際的な評価を得ており、将来のキャリアが非常に有望な傑出した研究者」に贈られるフィリップ・レバーホルム賞の受賞者でもある。邦訳書に『地政学とは何か』(NTT出版、2012年、原題:Geopolitics: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2007)がある。

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