中国の急成長を陰で支えた「2階建て列車」の功績 高速鉄道の開業前、輸送力アップの切り札に

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杭州駅に停車する2階建て25B型客車を連ねた列車=1998年2月(筆者撮影)
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2021年秋、新幹線車両で最後の2階建て車となったE4系が上越新幹線から引退し、一時代を築いた「2階建て新幹線」が消滅した。2階建て車両はお隣の中国でも鉄道近代化を支える存在として活躍してきたが、今や世界最長を誇るようになった高速鉄道網に押され、脇役になってきている。

1990年代以降、中国はめざましい経済発展を遂げた。農村部から大都市への急激な人口集中に加え、各地域内のビジネス需要による移動が増えたことで、近・中距離の鉄道利用者が一気に増加した。これを受けて進んだのが高速化と、2階建て客車の導入による輸送力増強だった。

筆者は1990年代初めから10年余り香港に在住していた。折しも、香港の後背地である広東省には次々と工場が建てられ、外資の導入も盛んに行われるなど、急激な経済発展の様子を日々目の当たりにしていた。香港―広州間の直通列車も連日、全列車が満席状態。乗れなかった人々はやむなく香港と中国本土間の国境を越え、深圳から2階建て列車で目的地を目指したものだった。

中国が急成長した時代の鉄道を支えた2階建て客車の功績を振り返ってみたい。

大都市圏に登場した「双層」客車

かつて中国の鉄道は最高時速80kmがやっとという路線がほとんどだったが、経済発展とともに120km、140kmへとスピードアップし、ついには200km走行が可能な線区が誕生。高速鉄道の開業以前にも、日本の在来線特急よりはるかに速い列車が走る高規格の鉄道が中国のあちこちに開通した。

1990年代後半の中国には、全国に3カ所の先進地域があった。華北の「環渤海経済圏」、華中の「長江デルタ地域」、華南の「珠江デルタ地域」で、それぞれ北京、上海、広州を中心に経済圏を形成していた。当時、これらの地域で外国人ビジネス客の利用に耐えうる鉄道のイメージは、最長でギリギリ日帰りができるくらいの距離を優等列車の「軟座車」(上級の座席車)に乗って移動する、といったものだった。

こうした大都市を中心とする経済圏の路線網には積極的に2階建て客車による列車が投入され、「動車組」と呼ばれる固定編成も導入された。例えば、北京―天津間にはディーゼル機関車と2階建て客車で構成された「神州号」、広州―東莞―深圳間には電車(動力集中方式)の「藍箭号」などだ。

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