「二度も幻と化した」広島と島根を結ぶ鉄道の謎 山あいに並ぶ2つの橋、どちらにも列車は走らず

浜田市は中国地方の日本海側、山陰地方の一角を占める島根県石見地方の中核都市。伝統芸能の石見神楽や高級魚「のどぐろ」が水揚げされる漁港などで知られる。
この浜田の中心市街地から南東約8km、山間部の佐野地区に「二つの橋」が並んでいる。どちらも国鉄線として建設された「今福線」のコンクリート橋だ。北側の橋梁はシンプルな桁橋で比較的新しく見えるのに対し、南側の橋梁は4連アーチ橋でレトロ感が強く、表面もかなり汚れている。
これだけを見れば、南側の橋梁が大昔に整備された今福線の旧橋で、その後の線路改良により北側の新橋が整備されて旧橋が放棄された、と思うかもしれない。鉄道や道路の改良プロジェクトでは比較的よく見られる光景だ。
新旧二つの「幻の鉄路」
しかし、この二つの橋の経緯は異なる。旧橋は工事途中でうち捨てられ、それに代わって整備された新橋も工事途中でうち捨てられたという「二重の幻の鉄路」なのだ。いったいなぜ、こんな無駄を繰り返してしまったのか。
浜田市は日本海側の地方都市だが、中国地方最大の都市で瀬戸内海側の山陽地方にある広島市にも近く、直線距離なら65kmほどしかない。しかし中国山地に隔てられて交通は不便だった。
そのため、遅くとも明治中期の1890年代には広島と浜田を結ぶ「広浜鉄道」の整備が議論されるように。大正期の1921年、島根県波佐村(現在の浜田市の一部)などの有力者が広浜鉄道の整備を求める請願書を帝国議会に提出している。翌1922年には鉄道敷設法が改正され、広島―加計―浜田間を結ぶ鉄道が予定線として盛り込まれた。
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