「日本で4番目」の電気鉄道、実は小田原にあった 東海道線や小田急より先、自前で発電所も建設

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箱根登山鉄道軌道線 最終日
箱根登山鉄道軌道線営業最終日の「電車まつり」。装飾電車の後方に国鉄小田原駅舎が見える=1956年5月31日 (写真:小田原市立中央図書館所蔵)
横浜を走った路面電車や港の貨物線、人が客車を押して走った人車鉄道など、神奈川県内には数多くの「廃線跡」があります。旅行・鉄道作家、ジャーナリストの森川天喜氏の著作『かながわ鉄道廃線紀行』(神奈川新聞社)は、同県内の11の廃線をたどる一冊です。同書から、かつて小田原を走っていた「日本で4番目の電気鉄道」小田原電気鉄道(箱根登山鉄道軌道線)に関する部分を一部抜粋して紹介します。

国府津―箱根湯本間を結んだ電車

「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」(鉄道唱歌)

1872年、新橋(現・汐留)―横浜(現・桜木町)間に我が国最初の鉄道が開通し、「陸(おか)蒸気」とも呼ばれた蒸気機関車の汽笛が響いた。神奈川県は東京府(当時)とともに、我が国ではじめて鉄道が走った鉄道揺籃の地である。その後、1887年に東海道線が国府津まで延伸されると、そこから枝葉のようにさまざまな鉄道・軌道(路面電車)が延びていく。

その先駆けとなったのが、1888年10月に開業した小田原馬車鉄道(国府津―小田原―湯本間12.9km)だった。

【写真】日本で4番目の電車だった小田原電気鉄道。貴重な明治時代の開業式の様子や戦後の小田原の街を走る廃止直前の姿

この馬車鉄道の開業には、東海道線のルート選定が関係している。国府津以西の東海道線が、「天下の険」である箱根を迂回するため、現在の御殿場線ルート(国府津―松田―御殿場―沼津間)で建設されることが決定すると、鉄道ルートから外れることで街が衰退することを危惧した小田原と箱根湯本の有力者が発起人となり、この馬車鉄道を開設したのである。

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