幻に終わった「山形の私鉄」、岡山で眠る電車の謎 戦後に地方で相次いだ「国鉄並行私鉄」計画とは?
岡山県南部の玉野市内にあるJR宇野線の終点、宇野駅。瀬戸内海の港湾の一つである宇野港に隣接しており、かつては四国の玄関口、香川県高松市に向かう鉄道連絡船やフェリーも発着していた。
この駅から西南西へ約3km、玉野市の奥玉地区にある福祉施設「すこやかセンター」に、レトロな雰囲気を醸している電車が1両、屋根付きのスペースに設置されている。かつて玉野市内で運行されていた電車を静態保存したもの。引退した車両を運行されていた地域で保存すること自体は、特段珍しいことではない。
しかしこの車両、もともとは玉野を走る計画ではなかった。ここから700kmほど離れた東北の山形県で計画された幻の地方私鉄、「蔵王高速電鉄」の線路を走るはずだったといわれている。
奥羽本線に並行する「高速電鉄」
蔵王高速電鉄が計画されたのは終戦直後のこと。庄内交通の当時の常務取締役で堀田村(のちの蔵王村、現在の山形市)出身の荒井清蔵など山形県内の有力者らが発起人となり、1947年2月2日に山形―上ノ山間12.2km(のちに12.6kmに変更)と半郷―高湯間13.2kmの地方鉄道免許を国に申請した。
山形―上ノ山間は「本線」に相当し、山形市から南下して上山町(現在の上山市)に至る。半郷―高湯間は本線のほぼ中間で分岐して高湯に向かう「支線」だ。高湯は蔵王連峰西側の山腹にある蔵王温泉のこと。冬季はスキー客や樹氷を見に来た観光客でにぎわう。



















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