幻に終わった「山形の私鉄」、岡山で眠る電車の謎 戦後に地方で相次いだ「国鉄並行私鉄」計画とは?
一方、蔵王高速電鉄の「キャンセル電車」が導入された備南電気鉄道も経営は厳しく、開業からわずか3年後の1956年には玉野市が経営を引き継いで「玉野市電」に。経営合理化のため非電化路線に変わったことから、1965年には香川県内で鉄道網を展開している高松琴平電気鉄道(琴電)に電車を売却した。それでも経営は好転せず、1972年に廃止されてしまった。
琴電に売却された3両は形式を750形、車両番号を750・760・770号に改めた。1978年には踏切事故で770号が廃車に。1999年にも冷房車の導入による車両の更新で750号が廃車になった。最後に残った760号は2006年に引退。これを機に玉野市民の有志が玉野市電を地元で保存しようと760号の「里帰り」を企画し、再び瀬戸内海を渡ってすこやかセンターに搬入された。
橋台やホームなどの遺構残る
私は正式な廃止から半世紀以上が過ぎた2014年11月、蔵王高速電鉄のルートをたどったことがある。再開発や区画整理で路盤そのものが消失している部分がほとんどで、細長い線路用地の特性を生かして道路化した部分もほとんどなかった。
それでも橋台や築堤などがわずかに残っていたのを確認できたし、現在の上山市内では橋台に加え、金瓶駅と中川駅の予定地でホームの石垣を見つけることができた。ただ近年撮影された空中写真などを見る限りでは、蔵王高速電鉄の遺構として比較的知られていた松尾川の橋台が道路整備で撤去されたようだ。
いまもホームが残っているのなら、幻の地方私鉄の歴史を後世に伝えるための公園として再整備できないものか。そして期間限定のイベントでいいから、玉野で保存されている電車を持ち込んでホーム脇に設置すれば、蔵王高速電鉄の姿を「再現」できて面白いのではないかと思う。一介のマニアの妄想にすぎないし、そもそも公園の整備費や電車の搬出入費をどう工面するのかという話ではあるが。
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