阪神電車「虎ファンの聖地」だけでない沿線開発史 六甲山をリゾート化、甲子園には「阪神パーク」も

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阪神電車の甲子園駅は阪神タイガースの本拠地である甲子園球場の最寄り駅(編集部撮影)

事業の規模が大きくなるには、需要と供給の双方が大きくなることが必要だ。鉄道事業で供給が増えるというと、路線網の拡大や列車の増発、編成の長大化などが考えられる。半面、需要の増加というと、輸送する乗客や貨物の増加ということだろう。

2025年4月に大阪・出入橋―神戸・三宮間の開業から120年を迎えた阪神電気鉄道の歴史を振り返ると、「大阪と神戸を結ぶ」という1905年の開業時に考えられた路線のコンセプト、いわばビジネスモデルが変わらないことがわかる。

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大阪と神戸を結んで120年

大阪は開業時に比べて出入橋―梅田間、神戸は三宮―元町間が延伸されたほか、2009年には「阪神なんば線」が開業したとはいえ、「大阪と神戸の間を走るのが阪神電車」という基軸に変化はない。

また早くから高頻度運転に取り組み、「待たずに乗れる阪神電車」を旗印に、ATC(自動列車制御装置)もない中で電車の間隔を4分程度とほぼ限界まで短縮。古くからの市街地を走るためプラットホームの延伸も簡単でなかったろう。総じて供給力の強化は非常に困難で、地道な取り組みであったと考えられる。

【貴重な写真】かつての遊園地「香櫨園」や「甲子園ホテル」、路面電車が走っていた阪神甲子園駅の駅前……そして飛行塔やボート池、ゾウなどが人気だった「阪神パーク」ありし日の姿。現在は「ららぽーと甲子園」として家族連れでにぎわう
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