阪神電車「虎ファンの聖地」だけでない沿線開発史 六甲山をリゾート化、甲子園には「阪神パーク」も
大阪では主に4〜9月期、平日なら午後10時ごろ、土日祝なら午後6時ごろになると、タイガースのユニフォームを着た人を繁華街で見かける。
タイガース戦を観戦後に阪神の大阪梅田駅で下車し、自宅の最寄り駅が属する別の路線に乗り換える前に、キタやミナミの居酒屋で一杯やっていると考えられる。阪神沿線以外から多くのファンを集めていることを示しているといえそうだ。
もちろん春夏の甲子園では、全国からの集客がある。学校の応援団だと地元からバスを仕立てることもあるようだが、いずれにしても甲子園周辺の宿泊施設は満杯状態になる。高校野球ファンを含めて大阪や神戸に宿を取り、電車で甲子園を訪れるケースも少なくない。
「西の帝国ホテル」を建設
阪神が甲子園の地に開発したのはスポーツ施設だけではなかった。「甲子園ホテル」は世界的に著名な建築家フランク・ロイド・ライトの弟子である遠藤新が設計。1930年に完成した。ライト自身が設計した東京の帝国ホテルと対比され、「西の帝国ホテル」と呼ばれるほどの端正な建築だ。皇族や国内外の要人らが大阪や神戸を訪れた際に宿泊したという。
ただ第2次世界大戦の影響で1944年に海軍病院として使われるようになり、戦後は米軍に接収されて将校宿舎になった。1965年に武庫川学院が取得し、修復工事を実施。国の登録有形文化財でもあり、現在は武庫川女子大学の甲子園会館として使われている。



















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