阪神電車「虎ファンの聖地」だけでない沿線開発史 六甲山をリゾート化、甲子園には「阪神パーク」も

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一方で需要開拓の歴史はとても華やかだ。とくに阪神は沿線外から人を呼び、阪神の乗客として迎えることに大成功したといえそうだ。というのも阪神の沿線開発の歴史は「六甲山」と「甲子園」の歴史だからだ。

1868年の神戸港の開港以来、神戸に居を構えた外国人たちは六甲山を娯楽の場として活用した。イギリス人貿易商のA・H・グルームが六甲山に日本で初めてゴルフ場を作ったのが1903年だった。阪神開業の2年前だ。これが六甲山のリゾート開発の始まりとされている。

このほかレジャーとしての近代的な登山が始まったのも六甲山が日本で初めて。次第に六甲山上には別荘が増え1910年ごろには六甲山上にイギリス人、アメリカ人、ドイツ人、フランス人、ベルギー人、日本人らの別荘が合わせて56件になった。

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六甲山のレジャー需要に照準

そんな中で六甲山上に「阪神クラブ」が開設されたのが1912年だ。当初は阪神電鉄の社員向けレクリエーション施設だったが、別荘地の関係者や増加しつつあった登山者にもサービスを提供するようになった。阪神クラブは、阪神が持っていた発電所の電気を山上に供給するための拠点でもあった。

当時の有野村(現在の神戸市北区有野町)から六甲山上の記念碑台を結ぶ「裏六甲ドライブウェイ」が開通したのは1928年。道路を整備したのは兵庫県だが、阪神が多額の寄付をしたのがきっかけとされる。

同年、阪神は「六甲越有馬鉄道」を買収し、1932年にケーブル線「六甲ケーブル」を開業させた。この年に六甲山上で別荘地の分譲を始めた。

六甲ケーブルの六甲山上駅の駅舎。1932年の開業当時の姿を残している(編集部撮影)
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