阪神電車「虎ファンの聖地」だけでない沿線開発史 六甲山をリゾート化、甲子園には「阪神パーク」も

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かつて阪神甲子園球場の南東にあった「甲子園阪神パーク」は阪神が自ら手がけた遊園地だ。

遊園地については芦屋川の近くにあった遊園地に補助をしたほか、1907年に開園した「香櫨園(こうろえん)遊園地」には経営に参画した。ただ宅地開発が優先される中で地主が地代を引き上げる事態にもなったとみられ、遊園地の存在自体が長続きしなかったようだ。

【明治の絵葉書】1909年当時の香櫨園の「ウヲタシユト(ウォーターシュート)」を写した貴重な資料。裏返すと「阪神電車経営香櫨園動物園」創立記念スタンプ

そこで阪神が自らの土地に開設したのが甲子園阪神パークというわけだ。開園は1929年。甲子園球場と、同じく近隣の鳴尾競馬場と並んで、いわば「娯楽ゾーン」を形成することができた。

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甲子園一帯が“レジャーランド”に

ヒョウの父親とライオンの母親から生まれた「レオポン」が目玉の動物園、ダッジェムカーなどの乗り物、大きな滑り台があったプール(冬季はスケート場)、ボウリング場と、いわば幕の内弁当のような、さまざまな要素を詰め込んだ遊園地だった。

「甲子園阪神パーク」の人気者だったゾウ=1983年(出典:にしのみやデジタルアーカイブ)
【写真の続き】飛行塔やボート池、ゾウなどが人気だった「甲子園阪神パーク」ありし日の姿
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