阪神電車「虎ファンの聖地」だけでない沿線開発史 六甲山をリゾート化、甲子園には「阪神パーク」も

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阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)は日本で最も成功したスポーツ施設といってよいだろう。日本で「春の甲子園」「夏の甲子園」といえば、高校野球を連想しない人はほぼいない。プロ野球・阪神タイガースの本拠地という以上に、高校野球の聖地でもある。

仮に東京に集まって何か若者の日本一を決めるときにも甲子園という言葉を使う。「まんが甲子園」「俳句甲子園」「お笑い甲子園」と、いくらでも例がある。「政策甲子園」などというものもあるそうだ。

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お馴染みの甲子園球場が誕生

現在の甲子園「全国高等学校野球選手権大会」は全国中等学校優勝野球大会として豊中球場で始まった。第3回の1917年からは鳴尾球場という別の野球場で開催していたが、地元の甲陽中学校が勝ち進んだのをきっかけに人気が出て、観客を収容できなくなったのが新球場建設のきっかけという。

武庫川の改修工事で廃川になった枝川の埋立地に、アメリカの野球場を参考にして建設したのが「甲子園大運動場」だ。完成した1924年が十干十二支で最初、60年に1度の「甲子(きのえね)」だったことから甲子園を地名にした。昨年は100周年だった。

1960年当時の阪神甲子園駅前。かつて路面電車の甲子園線が走っていた。奥が甲子園球場(出典:にしのみやデジタルアーカイブ)
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