阪神電車「虎ファンの聖地」だけでない沿線開発史 六甲山をリゾート化、甲子園には「阪神パーク」も
阪神は有野村から購入した山林など六甲山上の土地を別荘地として分譲するだけでなく、富裕層向けの貸別荘も建設。六甲オリエンタルホテルの建設にも出資した。
さらに植物学者の牧野富太郎に指導を受けて1933年に「六甲高山植物園」が開園。1936年には旅館形式の宿泊施設「凌雲荘」(1998年閉館)、冬は人工スキー場として活用する野外活動施設「六甲山カンツリーハウス」が開業したのは1937年だ。
大都市からすぐのリゾート地
六甲山の最高峰は標高931m。JR東日本・しなの鉄道の軽井沢駅(長野県北佐久郡軽井沢町)の標高が940メートルほどだというから、大阪・神戸という大都市のすぐ横にある避暑地が六甲山というわけだ。六甲ケーブルの駅に向かうバスには阪急六甲駅やJR六甲道駅からも乗れるが、そのバス路線の起点は阪神御影駅だ。
リゾート地としての六甲山上は1980年代のバブル期をはさんで隆盛のピークを迎えるが、その基盤を作ったのは戦前の阪神だった。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら